〇生き方に迷った記録3-2


◎もはや優良な求人など存在しないのだろうか もはや生きる資格もないのだろうか 2012/7/2(月) 午後 0:26

昨日から7月。
再就職活動を始めて1ヵ月が経った。
主に転職サイトで求人を探し、何社か応募した。
そうのうちの1社は面接に行った。

しかし、
未だに1社も合否の連絡が来ない。
去年就職活動をしていた時も、たまに連絡のない会社はあった。
しかし1社も連絡がないというのは、一体どういうことだろう。

不採用の連絡をする価値も無い人間なのか自分は。
社会から見てそんなにゴミのような存在なのか自分は。
仕事が出来ない生きる価値もない人間と判断されているのか自分は。

だとしても、やはり連絡の1つもよこさない会社はどうかと思う。
そんな会社はきっといい会社ではない。
超不況なご時世の今、求人を出している会社でまともな所は無いのかもしれない。

よくよく考えてみれば、
求人を出すということは社員が減って人手が足りなくなったということだ。
そしてこの不況の中で会社を辞めるということは、よほど耐えがたい不満があるからだと思う。
つまり、
今出されている求人のほとんどは、そんな不満ばかりの会社だということになる。
優良な会社なら今辞める人はいないから、求人を出す事も無い。

結局、
転職サイトやハローワークに出回っている求人のほとんどは、ロクなものではない。
だからいつまでも掲載されている。
掲載期間が終了しても、またすぐ再掲載される。
実際、半年前に就職活動をしていた時に見かけた求人を今でも多く見かける。

なんだかもう、何も信用できない。
求人内容も企業も信用できない。
自分というものが信用できない。
これからどうすればいいのか全く分からない。

ただ生きることだけを考え、
人生の楽しみや感情など全て捨てて、
劣悪な職場でも働くべきなのか。
実際そういう人は沢山いると思う。
三度の飯だけを楽しみにして、ただ生きるために生きている人たち。
心が休まるのは布団の中に入るときだけ。
自分には無理だ。

ささやかな夢や可能性も無い人生なら自分はいらない。
ただ生きるだけの人生なら、意味が無い。
死ぬためだけに生きる人生なら生きる意味は無い。
では何のために生きるのか、
どういう生き方をしたいのかと聞かれれば、
それに答えることが出来ない自分。

結局、
自分はどうしたいのか、何を求めているのかもよく分からない。

運良く満足できる職場に就くことが出来れば、いろいろと先が見えてくるのかも知れない。
しかし現状ではその可能性は低い。
結局何も出来ないまま停止している状態が続く。

これ以上自分を変えるのは無理だと確信している。
去年の就職活動では自分なりにかなり努力をした。
今年はお遍路に出て活路を開こうと試みた。
しかし結局、何も変わらなかった。

もう自分に残された道はひとつしかないのかもしれない。
まだ生活費は多少あるが、何もしなくても月日が経つのは早い。
いずれ本当に覚悟しなければならないのかもしれない。

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◎今の自分に必要だと思うこと 2012/7/2(月) 午後 1:11


誰かと会話がしたい。
ネット上ではなく、面と向かい合って。

誰でもいいというわけではない。
自分の気持ちを本当に理解し、受け止めてくれる人と。
できれば同じ境遇の人と。

自分と同じように悩みや苦しみを抱えている人と、
話し合い理解し合い、コミュニケーションをとりたい。
別にそれで問題解決を望んでいるわけではない。
本当に理解し合える人と会話するという事が重要なのだから。

人の悩みや問題は、誰かに話す事で半分は解決するという。
それは問題が解決するという事ではなく、気持ちが軽くなるという事なのだと思う。
悩みや問題を誰にも打ち明けられず1人で抱え込むのは辛い。
誰かに自分の事を話し、理解してもらう事が、大きなストレス発散になるのだと思う。
しかし残念ながら今の自分には、自分の気持ちを素直に話せる友人はいない。

自分はネット上の文章のやりとりは「会話」とはいえないと思う。
ネット上の文章は何処まで現実で何処まで嘘なのか分からない。
相手はどんな人間か全く分からないのだ。
年齢も、性別も、顔も、性格も、声色も、感情も、何も分からない。
何も分からない相手と文章を交わしただけで心が通じ合うなどという事はありえない。

しかし現代のネット社会では、文章だけのコミュニケーションで満足している人が多い。
そういう人たちは、人と人との本当の付き合い方を知らない寂しい人たちなのかもしれない。

本来会話というのは、相手の目を見て、相手の表情から感情を読み取ってするもだ。
人と人とのコミュニケーションというのは、本来そういうものだ。

今自分に必要なものは、人間的な人とのコミュニケーションだと思う。
自分の感情を生で相手にぶつけ、またその反応を生で受け取りたい。
家にこもってばかりいる今だからこそ、強くそう感じる。

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◎誕生日は祝うものではない 祝う人もいない 2012/7/3(火) 午前 10:41

嫌な日が来てしまった。
7月3日。
誕生日。
自分にとって誕生日は祝うものではない。

誕生日を祝い喜べる人というのは、
一生懸命生きて、
楽しんで生きて、
年を重ねるごとに成長している人だ。
末永く生きる事を望んでいる人だ。

自分はどうか。
半分以上人生を諦め、
生きる事が苦痛で、
心の成長が止まってしまっている。
生きるという苦痛からの開放を望んでいるような人間だ。

数年前、
当時の彼女にレストランで誕生日を祝ってもらいプレゼントを貰った事が懐かしい。
あの頃は生きる事の辛さ苦しみなどとは全くの無縁だった。
苦労よりも楽しみの方が大きかった。
今思えば、あの頃は本当によかった。

当時と今であまりにも変わってしまった。
自分も自分の周りの環境も。
楽しい週末のことばかり考えて生きていたあの頃から一転、
何もかも卑屈で絶望的になってしまった。

今日は起きてから、一応転職サイトを閲覧した。
しかし自分が応募できるような求人はなかった。
今日はもうこれと言ってすることが無い。
1日読書でもしていようか。

それとも、
誕生日を理由にお金を下ろして好きに使おうか。
今の自分にはお金の価値というものが分からなくなっている。
無くなってしまえば別にそれでいい。
人生の終わりがほんの少し早まるだけのことだ。
そう考えている。
そう考えた方が少しは楽になれる。

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◎お金って、一体何なんだ 2012/7/3(火) 午前 10:59

生きるためにはお金が必要。
お金を稼ぐには仕事が必要。

仕事が無ければお金は稼げない。
お金が無ければ生きてはいけない。

ならば、
仕事が見つからないなら生きなければいいのか。
ただそれだけのことなのか。
そんなに単純なことなのか。

世の中にはお金が有り余っている人が沢山いる。
逆にお金が無くて喘いでいる人も沢山いる。
この差はなんだ。
よく考えれば当たり前の事だ。
どうしてそのような差ができるのか分かりきった事だ。
バカでも理屈では理解できる。
でも納得は出来ない。

そもそも、金って存在はいったい何なんだ。
金が無いと生きていけない世の中って何なんだ。
金で人の優劣が決まってしまう社会って何なんだ。

金の無いヤツは満足に人生を楽しめない。
金の無いヤツは社会的に劣ったヤツだと判断される。
金の無いヤツは近い将来の保障すら無い。

人は結局、死ぬまで金に翻弄されて生きなければならない。
本当にうんざりする。



今日、親から1件のメールが届いていた。
息子である自分の名義で保険に加入したいと。
もしかしたら親はこのブログを知っていて、
人生の終わりにある程度覚悟を決めた自分の考えを知っているのかもしれない。
最悪の場合に備えてなのかもしれない。
そう思った。
それならそれで構わない。
むしろ助かる。
自分は親に金を残す事ができないから。
人間は死んでからも金がかかる。
何処までも金金カネ…
本当にうんざりする。

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◎破滅・破壊を望む人 2012/7/3(火) 午後 2:08

仕事や生活がうまくいかず自暴自棄になる人がいる。
ヤケになって車を暴走させたり通り魔事件を起こす人がいる。
そういう人たちは多分、
自分はもう死ぬしかないから誰かを道連れにしてしまおうと思ったのかもしれない。
自分が苦しいから他人も苦しめてやろうと思ったのかもしれない。
自分にとって絶望的な世の中を破壊してしまおうと思ったのかもしれない。

自分は自らの手で他人を傷つけようなんて考えは全く無い。
無関係な他人を道連れにしようなんて考えは、クズ以下だ。
ただ、
今自分が生きている世間と自分に絶望している。
こんな世の中無くなってしまえばいいなんて考えたりもする。

さっき地震があった。
自分は子供の頃から地震に敏感で、何よりも大地震が来る事を恐れていた。
ほんの小さな揺れにも反応し、恐怖を感じていた。
1年前の東日本大震災による被害には、本当に心を痛めた。

津波の映像を見て涙が出た。

しかし今は違うようだ。
揺れが起きても驚きもしないし、イスから立ち上がることも無い。
何だこの程度か、と冷めている。
どうせなら東京が壊滅してしまうほどの地震が来ればいいのに、
自分の人生を潰してくれればいいのに、
なんて考えてしまう。

自然災害や事故、病気などで命を落とすのなら、それは仕方の無いことだ。
故意ではない、不慮の死なら仕方が無い。

不慮の死を何処かで望んでいる自分がいる。
望んでいないのに不慮の事態に遭った人からすれば、自分は不快で醜悪な存在に他ならない。
でも仕方が無い。
自分にとって今の世間こそが不快で醜悪なのだから。

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◎心の修正は出来ない 自分に対して自分の心を隠しごまかす事も出来ない だから苦しいんだ 2012/7/4(水) 午前 1:17

何のために生きるのか、何が生きがいなのか、どうしてそんな事ばかり考えるのか

ずっと前からこの事については悩んでいた。
きっと大人になる前から考えていた事。
今改めてネットで検索して、いろいろなサイトを覗いてみた。

いろいろと調べてみた結果、
どうやらある程度共通したものを見つけた。

生きる意味が分からないと悩む人、
何で生きているのか分からないという人には、
子供の頃の家庭環境がよくなかったケースが多いらしい。

例えば親との会話が無く、
家族揃っての食事の時もシンとし重苦しい空気が常に漂っているとか。
正に自分がそうだった。

毎晩の親との食事の時間が嫌いだった。
自分の部屋から出るのが嫌だった。
大人になるまでずっとそんな食事だったからか、
自分は食に基本的に関心が無い。
食事は生きるために仕方なくするものであって、
時間の無駄で楽しむものではなかった。
栄養カプセルで済むならその方が時間も節約できていいと思っていた。

家庭環境以外にも、食事を楽しめない人にも多いらしい。
人間の三大欲求の1つが欠落しているという事になるのだから、問題が無いわけないか。
食事に関しても上の家庭問題の繋がりで当てはまっている。
たまに旅先や友人とで食事をするのは楽しいとも思うが、
やはり普段の食事は面倒で時間と金の無駄だと思ってしまう。

当時の様子を今思い起こしてみればかなり異常だったと思う。
毎日毎日、あんな重苦しい食事をよくしていたと思う。
いつから、何がきっかけで、どうしてそうなって行ったのか分からないが、
親は何とも思わなかったのだろうか。
親はそれが当たり前だと思っていたのだろうか。
親はそれで子供がまともに成長すると思っていたのだろうか。

別に今になって親をどうこう責める気は全く無い。
ただ過去にそのような事があったという事実があり、
それが少なからず今に反映されている事実がある。

今改めて思う。
大人になるまでの成長期も、そして大人になってからも、
人と人とのコミュニケーションは心の成長には欠かせないということ。
勉強や仕事が出来ても、真面目であっても、
人とのコミュニケーションを満足に受けずに成長した人間は不完全であると。

勉強や仕事などで間違って身につけてしまった知識は後から修正する事ができる。
しかし心の修正はそうはいかない。
自己啓発本を読んだり、沢山の人から前向きなアドバイスをもらっても一時的な向上心は芽生えるが、
子供の頃から形成された根深い部分はそう変わるものではない。
実際に自分がいろいろ試みた結果変わらなかったので痛感している。

自分の心の底には暗く重く浄化できないものが根付いている。
それは多分中学生くらいの時から居座っている。
そんなものを今さらどうこう出来るわけが無い。
だから、それが表へ出ないように上手く隠して生きていくしかない。
しかし、今の自分の状況下では、それが表へ出て余計に自分を苦しめる。

自分の心を他人に対して隠す事は出来るが、
自分に対して隠しごまかすことは出来ない。
だから苦しい。

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◎激しい眠気 2012/7/4(水) 午後 1:46

気だるい気持ちで転職サイトを閲覧し始めてすぐに眠気。
しかも激しい眠気でウトウトしてしまい画面を見ていられない。
全く作業が進まない。

朝起きて間もないのにこの眠気は異常だ。
昔から何かの作業中などに眠くなることがある。
やはり精神面に問題があるのだろうか。
病院で睡眠障害の診断を受けた方がいいだろうか。
これを改善できる薬があるなら欲しい。

それにしても、
眠気に逆らわずにボーッとしている時は気分がいい。
半覚醒状態というのか、意識が何処かへ飛んでいる感じ。

試しにひたすら寝続けてみようかと思うことがある。
途中で目覚めてもトイレと少量の水分補給だけして再び横になる。
時間も何も気にせずひたすら横になって目をつむる。
どうなるのか興味深い。

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◎ブログが唯一のストレス発散場所なのかもしれない 2012/7/4(水) 午後 6:25

今日は1社面接に行ってきた。
心が折れかけ、人生諦めかけのこんな状態だからか、
逆に焦ることなく落ち着いて面接を受ける事が出来た。
言葉も迷わずスラスラと出た。
ただ、求人内容を見て想像していたものと実際の業務は大分違っていた。
全く自分には向いていないと感じた。
面接官も自分の経歴を確認して間違いなくそう感じたはずだ。
不採用で決まりだろう、仕方が無い。

帰りのバスの中、言葉では表現できない感情で呆然としていた。
頭の中の何処か一部が空になってしまったような感覚。
きっと表情は無くつくりものみたいな顔をしていたと思う。
そして思考が働いている部分はいろんなものが入り混じっている。
絶望感や焦燥感、無力感や無気力感、いろいろな感情がグルグルまわっている。
一言で表せば混沌。
久しぶりに頭の後ろの部分に重い痛みを感じた。

そんな苦痛を和らげる方法は少ない。
アルコールを飲んで酔っても心の底までごまかす事は出来ない。
寝てしまえば起きた時に少しはマシになっている。
でも寝るにはまだ時間が早い。
となると、あとはこのブログに自分の気持ちを書くくらいしかない。
子供の頃から文章を書くのは大の苦手だが、
辛い気持ちというのは不思議と文章が頭から出てくる。
だから今ブログを書いている。

その時の気持ちを文章にしてかたちを残す事で、僅かながらもストレス発散になる。
何故だろう、
「気持ちをかたちにする」ということに意味があるのか、
それともキーボードを叩いて文章を並べる行為に意味があるのか、
よく分からないけどブログを書くことで少し落ち着く。

とにかく、
どんなに精神状態が不安定になっても、
自暴自棄な行動を取らないように気をつけたい。

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◎就職できてからの先の事を考えてみたら、今とあまり変わりなかった 2012/7/5(木) 午前 0:08

学歴・職歴・年齢を考えてみても、全く給与面での期待は出来ない。
ギリギリの収入での生活となり貯金も出来ないかもしれない。
時間的・金銭的な自由も無く、家庭も無く、わびしい人生になりそうだ。
それでは何を糧に生きていけばいいのかと考えた時、
何も思い浮かばなかった。

金も家庭も生きがいも無く、ただ生きるために働くだけの人生。
楽しそうに生きる人の笑顔を横目に、自分はただただ生きるだけの人生を30年も続ける。
そして定年になるとさらに苦しい生活が始まる。
少ない貯金と年金でギリギリの生活。
年老いた老人のひもじい生活はきっとかなり辛くむなしい。
そしていつか孤独死。

そう考えると心底ゾッとする。
でも、そういう人生を歩んでいる人はきっとごまんといる。
それが現実なんだ。

目の前には厳しい現実しか無い。
なんか、考えれば考えるほど気が重くなる。
考えたくないけど、そういうわけにもいかない。
いい夢だけ見て生きていければいいのに。

自分はもう本当は就職など望んでいないのかもしれない。
この厳しい現実からただ逃げたいだけなのかもしれない。
現実に立ち向かう気力を失ってしまったのかもしれない。

ここ最近、本当に行動力が低下している。
何もせずボーッとしている事が増えた。
とりあえず行動をしなければならないのに、体が動かせない。
心が故障して体が動かなくなってしまったような。
何か大きな刺激を与えて心を働かせないといけない。
でもどうすればいいのか分からない。

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◎自由を手に入れた そして多くのものを失った 2012/7/5(木) 午後 0:07

昨日の夜は眠れず、ベッドに寝転がって小説を読んでいた。
なかなか面白い内容で300ページの文庫本を読み終えてしまった。
朝方になってから、目を閉じ眠った。

今の自分は、ある意味自由を手に入れたのだと感じた。
失業し仕事が無いということは、時間的・健康状態的な拘束が一切無いということ。

いつまでも起きていて構わない。
いつまでも寝ていて構わない。
いつ食事をしても構わない。
いつ風邪を引いても構わない。
二日酔いで気分が悪くても構わない。

ある意味、生活する上で何も気にせず自由にしていられる。
ベッドの上でリラックスして小説を読んでいてそう感じた。
社会という拘束から逃れ自由を手に入れたのだと。

しかし、その自由はいつまでも続かない。
やがてお金が尽き生活が出来なくなる。
そうすれば最低限の衣食住にさえ困る不自由が始まる。
いまある自由はほんの一時的な、幻覚みたいなものだ。

失業・無職・再就職活動…
これらの経験は基本的に失うものの方が多い。
仕事を失い、貯金を減らし、社会人としての自信を失い、友人を失い…
そして生きる気力や将来の夢、可能性も失っていく。
最後には命も失うかもしれない。

自分が今回失業して得たものと言えば、本を読むようになった事くらいだろうか。
今までは全くと言ってよいほど本は読まなかった。
しかし前向きに就職活動に望もうと、自己啓発本の類をいろいろと読んだ時期があった。
それらは一時的には自分の心を活発にさせたが、すぐに効果は消えた。
効き目はあるが持続は短く、二度目は効かない薬だった。
ただ、それがきっかけで小説を読むようになった。
元々映画やドラマ、アニメなどが好きだった自分には、
物語を読むという行為が映像作品を鑑賞するのと同等の娯楽であった。
今はレンタルショップで映画を借りて観るよりも、文庫本を読んでいることの方が圧倒的に多い。
唯一失業して得たものと言えばそれくらいだろう。

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◎殺人勤務医 2012/7/5(木) 午後 2:24

と言うタイトルの小説を朝まで読んでいた。
主人公は人工妊娠中絶手術を行う専門医。
彼は仕事で行っている堕胎を殺人と認識している。
堕胎以外の普通の殺人も何度もしている。
彼には殺人と言う行為に罪悪感が全く無い。
しかし一方で弱い子供や動物に対して愛情を注ぐ。
非常に偏った心の持ち主だった。
そんな小説のあとがきに心に残る文章があった。

生まれてきた者に与えられた時間は、100年にも満たない。
生命が地上に誕生してから40億年。
その中わずか100年…だとしたら、
生まれたことと、生まれなかったことのあいだに大差はない。
生まれて来られた者もすぐに死に、生まれて来られなかった者と同じになる。
だから、生まれられなかった者たちも、そんなに悲しまなくていい。
戦争と飢餓しか知らずに死んでいく子供たちも、そんなに嘆かなくていい・・・。
僕たちは誰も、ほんの一瞬、ここにいる。
そしてすぐに、いなくなる。

この文章には生と死に対する深い意味が込められているように感じた。
この文章を自分に当てはめ、いろいろ考えてみた。

34歳という年齢で人生を終わりにすることも出来る。
この先しぶとく生き続けて80歳くらいで人生を終らせることも出来る。
34年間の人生と言うのは、少し短いかもしれない。
しかし80歳まで生きても、過去となった月日を思い返せばあっという間の出来事だったと感じるだろう。
30年生きようが80年生きようが、過ぎてしまえばあまり変わりのないことなのかもしれない。
あまり変わらないなら、どちらでもいいような気がする。

どちらでもいいのなら、とりあえず長い人生を選択してみるのも悪くない。
どちらでもいいのなら、楽な短い人生を選択してみるのもいいかもしれない。
どちらかを選べないなら、その時の成り行きにまかせるのが一番なのかもしれない。
どう選択しようが、ここいいるのはほんの一瞬、すぐにいなくなる。
失業に苦しもうがそれも一瞬のできごとなのだから、そんなに嘆く必要もないのかもしれない。

今地球上にいる全人類の数から考えれば、
人一人の人生など針穴のように限りなく小さい。
人一人の価値など塵のように軽い。
そんな極小な単体が1人何かを変えようと喘いだところで、どうにもなりはしない。
無駄にあがくのは止め、成り行きに任せるのが一番なのかもしれない。

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◎いいかげん、本当にうんざりしてきた 自分の人生に 2012/7/6(金) 午前 11:44

毎日毎日求人の閲覧。
画面上に並べられた各求人をスクロールさせて目ぼしいものを探す。
スクロールして、気になったのがあればクリックして、
求人内容が合わなければ戻るボタンで前の画面に戻って、
またスクロールして、次のページへ移って、
またスクロールして…
この動作がいい加減苦痛で仕方ない。

見つかりもしない探し物をバカみたいに延々と探している。
バカの一つ覚えみたいに毎日毎日同じ事を繰り返している。
何の徳にも金にも知識にもならない動作を繰り返している。
バカで無意味で報われないと分かっているのに延々と探している。
そんな気分だ。

去年半年間同じ事をやって来て、結果何の意味もなかったからもう分かりきっている。
無駄なんだ。
バカなんだ。
意味無いんだよ。
報われないんだよ。

もう何もしたくないよ。
考えたくない。
仕事生活将来の事全て考えたくない。
苦痛も後悔も罰も受けず楽になれるならそうしたいよ。

本当に落ちるところまで落ちてしまった。

犯罪者よ、誰か俺を車でひき殺してくれないか
犯罪者よ、誰か俺を電車が迫り来るホームから突き落としてくれないか
犯罪者よ、誰か俺を銃殺してくれないか
誰でもいい、なんでもいい、誰か俺を即死させてくれないか

どこぞの国のどこぞの州のように、電化製品感覚で拳銃が買えればいいのに。
S&WかIMIか、44口径か50口径か、9mmパラベラムでもいい。
銃口を上側に向けてくわえ、あとはトリガーを引くだけで済む。
安価で場所を選ばず、確実に即死できる方法が国外にはある。
使う使わないは別として、手元にあるだけで少しは気が楽になるのに。

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◎仕事の無いヤツがここにいる 2012/7/6(金) 午後 0:28

何もかもやる気が出ない。
集中力が続かない。

すぐにイスのリクライニングを傾け作業を中断してしまう。
そして考え事が始まる。

今の自分の現実やありえない妄想を繰り返す。
そして眠気が訪れ何もしなくなる。

仕事をしている社会人は今この時も自分の仕事をこなしている。
自分のキャリアを磨き給料を発生させ将来を見ている。
自分はどうだ、
求人検索の繰り返し、増えない金をただ減らし、人生に絶望し。
何もしていないのと変わらない。

おまえ、何のために生きてるの、生きてて楽しいの、その年で終ってるんじゃないの
誰かにそう言われている気がする。
早く仕事しろよ、何で仕事しないの、そんな事もできないの、何か出来る事あるの
そういう目で見られている気がする。

外に出れば何処を見ても労働者がいる。
工事現場、配達員、店のレジ打ち、あらゆる身近にいる。
誰でも働いて生きているのに自分は働いていない。
働いていないヤツがここにいる。
近所のスーパーには毎日通う。
レジに並ぶたびにそれを感じる。

そんな事を考えていたらまた眠くなってきた。
本当に救いようが無い