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2011年4月17日 3日目 (晴れ)  長崎県長崎市⇒佐賀県鹿島市

走行距離:172.9km(合計:1419.6km)

給油:00.00L(合計:72.93L)

 

5:30過ぎに寒くて目を覚ます。この時期の九州は東京よりも暖かいと思っていたが、深夜から早朝にかけては思ったよりも寒かった。今回の旅では睡眠時の寒さ対策として、前回の四国・九州の旅の途中に購入した大き目のブランケットと、さらにひざ掛けを持参。念のために用意しておいてよかった。これまで20回ほど車中泊の旅をしてきたが、睡眠時の寒さ対策として毛布代わりになるものを利用したのは前回から。それ以前の旅では寒くても服を重ね着する程度でその場をしのいでいた。今考えればよく耐えていたなと思う。やはり荷物が増えるのが面倒でも、備えは十分な方が旅は快適なものになる。と、散々車中泊の旅をしてきて今さら納得する。

長崎港ターミナル

ブランケットを被ってもう一度寝ようと思ったが目が冴えてしまったので、前日の夜に入店したジョイフルへ行き早めの朝食。9:00からの軍艦島クルーズまで時間があるので、ジョイフルで暫く時間を潰し、その間に旅行計画の確認や携帯電話で天気予報のチェック。そして7:00を過ぎたところで長崎港ターミナルへ向かう。15分ほどで到着し、ターミナル横にある駐車場に車を停め、軍艦島クルーズ窓口へ。しかし窓口が開くのは8:00からだったので、それまでターミナル内外をウロウロする事に。

ターミナル内には、軍艦島の模型や昔の軍艦島の様子を紹介したパネルなどが展示されていた。8:00に再び窓口へ行くと、多くの観光客が並んでいると思いきや1人もいなく、1番で乗船券を購入。料金は\4000+長崎市施設使用料\300。それから少しずつ乗船券の購入に人が来るも、思っていた程ではなかった。半年前の旅でネット予約した時は、休日は早めに予約しないと満席になってしまう状態だったが、この日は日曜日にも関わらず予約無しでも十分乗船出来る状態。やはり東日本大震災による自粛ムードが影響しているのだろうか。

軍艦島クルーズ窓口

マルベージャ3

長崎港ターミナルの隣にある有料駐車場は1時間以内なら無料なので、駐車してから1時間をまわる直前に駐車場から車を出して再び駐車、というセコイ事をする。まぁ時間を持て余してたから暇潰しという事で。それから8:30過ぎに桟橋へ行き、マルベージャ3という船に乗船。外の景色がよく見える展望デッキへ。そして9:00出航。長崎港から南西に約19kmの沖合いに浮かぶ軍艦島まで約50分のクルーズ開始。

造船所の艦船

長崎湾出口の三菱重工造船所

長崎港は入り江になっている長崎湾の一番奥にあり、出航から長崎湾の風景を楽しめる。長崎港を出て直ぐ右手に三菱重工造船所があり、自衛隊のイージス艦と思われる艦船が二隻も停泊。間近で艦船を見ることはあまりないので、他の乗客も興味深く眺めていた。長崎湾の出口左手にも大規模な三菱重工造船所があり、その向かいには高台に建つ白い教会と大岩の上に建つマリア像が目に入る。何だか興味を惹かれる場所だ。長崎湾を出て直ぐ左手にある伊王島の高台にも印象的なデザインの教会が。長崎は造船所と教会が多い。

長崎湾出口から見えるカトリック神ノ島教会

伊王島のカトリック馬込教会

船は南西に進み続け、高島という小さな島と中ノ島という極小の島を横切り、そして中ノ島の後ろから軍艦島が姿を現す。遠目からだとコンクリートで固められた要塞にも見え、異様さを放っている。天気が微妙で青空ではない点が少し残念だが、半年前の旅では雨天中止で軍艦島クルーズに参加することが出来なかっただけに、念願叶って気分は上昇しっぱなし。

島の南東からの眺め

軍艦島は南北に約480m、東西に約160m、周囲約1200mの小さな海底炭鉱の島。そんな狭い島の中に採掘工場だけでなく、アパートや学校、病院や神社、さらには映画館やパチンコホールなどの娯楽施設まで備わっていたというのだから凄い。

軍艦島の正式名称は端島(はしま)。元々は岩山のような小さな島で、現在の3分の1ほどの大きさだったらしい。右の写真が1901年の端島全景。明治初期から石炭採掘のため周囲の埋め立てを繰り返し、炭鉱職員の家族が生活できるよう高層集合住宅や学校・病院などの鉄筋コンクリート造の建物が島内に次々と建てられ、ひとつの町となった。北西側からの眺めが日本海軍の戦艦「土佐」に似ていることから、軍艦島と呼ばれるようになったらしい。

島の目の前まで近づくと、乗客が島の様子をじっくり見られるように船は微速で進む。コンクリートで固められた島の上にコンクリートの建物の廃墟が建ち並ぶ様は何とも異様な光景。そして凄まじい存在感。

高台に建つ端島神社の祠

高い壁に囲まれた軍艦島

ドルフィン桟橋

桟橋を渡って島内へ

船はドルフィン桟橋に到着し、遂に軍艦島に上陸。荒波が多く接岸が難しく、島全体が高い壁に囲まれているため、観光船から上陸できるのはドルフィン桟橋の1ヵ所だけ。そのドルフィン桟橋も、過去2回台風で流されているとか。台風の時には荒波が10mを超える岸壁を乗り越え、建物にバンバン叩きつけたらしい。

閉山時の建物配置図

桟橋を渡って島内へ入ると、廃墟となった建物の数々に崩れた壁、それと開けたところに並んでいる柱が目に入る。建物は主に鉱員の社宅で、手前の柱は石炭を運ぶためのベルトコンベアーの支柱。どれもいつ崩れ落ちてもおかしくないほど老朽している。辺りの壁もボロボロ。なので観光客が立入り出来るのは、安全な場所で見学通路が整備された島のほんの一部のみ。隅々まで観光したいところだが仕方ない。桟橋のすぐ側にある第1見学広場に集まり、昔軍艦島で実際に生活していたと言う添乗員が、軍艦島の歴史や広場から見える建物について説明。

第1見学広場から北東側の眺め

第1見学広場から南西側の眺め

第1広場から第2広場へ移動。第2見学広場の目の前には、総合事務所だったレンガ造りの建物の廃墟の一部が残っている。総合事務所の中には鉱員のための大浴場があったらしく、浴槽はいつも真っ黒だったとか。激しく崩壊しているのは、台風などによる高波を何度も受けているからとの事。

第1〜第2見学広場の間の通路から

第2見学広場から

島の一番高い所に建つ灯台と貯水槽

島の一番高い所には白い灯台が建っている。現在建っている灯台は二代目の強化プラスチック製のもので、一代目は鉄製で直ぐに錆びてしまったらしい。灯台の隣に建つ四角い建物は貯水槽。狭い島に沢山の人が住んでいたので、水は貴重なものだったとか。最盛期には約5300人もの人が住み、当時の東京都の約9倍の人口密度だったそうで、世界一の人口密度だったというのだから驚き。

パンフレットの配置図によると「鍛冶工場」?

パンフレットの配置図によると「仕上工場」?

第2見学広場から島の南西端へ向かう。当時の写真と見比べてみると、三角屋根の木造建築と思われる建物が建っていた所には、その残骸すら見当たらないので完全に撤去された様子。第3見学広場の正面には、鉱員社宅だった30号棟と31号棟が建っている。30号棟は1916年に建てられた(大正5年、95年前!)アパートで、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパート。台風や大波で地面がえぐられ、地階がむき出しになり8階建てにも見える。31号棟には地階に共同浴場があったり、1階には郵便局や理髪店があったりと、当時としてはかなり近代的な建物だったらしい。

1958年当時の南西端の様子

第3見学広場正面に見える30号棟・31号棟アパート

人口密度の高かった軍艦島では、電気や水道の確保が切実な問題だった。電気は当初島の自家発電で供給されていたが、人口増加に伴い電力不足になり、近くの高島から海底ケーブルで送電されるようになった。飲料水も当初は海水を蒸留していて、後に給水船で運ばれ貯水槽に蓄えられるようになり、さらにその後に対岸本土から海底送水管が敷かれ、送水されるようになった。 …そんな事がパンフレットに書かれてある。

窓の中をじっと見てると人影が映りそう…

床も壁も崩れ落ちた30号棟

軍艦島が無人島になったのは、今から37年前の1974年4月。大正時代から建てられた多くの建物は、コンクリート建築物の寿命期に差し掛かっていて、さらに潮風に晒され鉄筋の腐食が激しく、今にも崩れてしまいそうな状態。

プールもボロボロ

第3見学広場は記念撮影にもいい場所

軍艦島の各家庭のほとんどには、当時まだ珍しいテレビや冷蔵庫、洗濯機などの、戦後に三種の神器と言われた電化製品が充実していて、県下一の電化製品普及率だったらしい。

南からの眺め

島へ上陸してから1時間弱で島内観光は終了し、桟橋に戻り観光船に乗船。出来ることならもっと島の奥へ入ってみたかったが、安全性の問題があるので仕方ない。限られた範囲ではあるが、島内の見学が出来て非常に満足できた。しかしこれで軍艦島見学は終わりではない。船は桟橋のある南東側から時計回りにぐるっと島をまわり、「軍艦島」と呼ばれる由縁の眺めが見られる北西側へ向かう。

西からの眺め

端島灯台と後ろに貯水槽

下の写真が北西からの、戦艦「土佐」に似ていると言われている軍艦島の眺め。シルエットは正に軍艦そのもの。偶然にしても凄い。桟橋のある南東側よりも一面建物が密集していて、さらに異様さを放っている。船首に見える右端が、第3見学広場やプール跡のある南西端。

北西からの眺め

コンクリートむき出しの廃墟となったアパートが乱立している様は、何とも不気味で異様な光景。今まで見たことの無い風景に食い入るように眺め、夢中でカメラのシャッターを切る。こんな光景日本で他にはまず無い。軍艦島は本当に凄い、凄すぎるっ!

高台に建つ端島神社の祠が目を惹く。危険と隣り合わせだった鉱員達にとって、端島神社は心の拠り所だったとか。この祠はいつまで原形を留めていられるのだろうか。

北東端

昔の端島小中学校

北東端(船尾部分)からは7階建ての端島小学校校舎が見える。1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階には講堂や図書館、音楽室が設けられていたらしい。現存の校舎は1958年に建設されたものなので、53年も前の建物となる。窓ガラスは結構残っているが、建物の中は一体どうなっているのだろう。

現在の端島小中学校

窓ガラスの残る校舎

北東端までまわったところで船は軍艦島を離れ長崎港へ向かう。軍艦島のすぐ隣にある中ノ島には火葬場の跡地が見える。狭いながらも何でもあった軍艦島でも火葬場は無かったので、島内で亡くなった人の火葬は中ノ島で行われていたとの事。

中ノ島

中ノ島の火葬場跡

帰りの船内では昔の軍艦島の様子を記録した映像の上映がされた。廃墟となった軍艦島の詳しい様子も観てみたい。軍艦島のDVDがいくつか出ているので、今度レンタルして観ようと思った。11:40に長崎港ターミナル桟橋に帰着し、下船時に「軍艦島上陸証明書」が配られる。これはなかなか嬉しい。軍艦島上陸ツアーは期待していた通り、軍艦島の魅力を十分に体験する事のできるツアーだった。半年前は雨天中止で参加出来なかっただけに、今回は無事上陸する事が出来て本当によかった。2009年に軍艦島を含む「九州・山口の近代化産業遺産群」が世界遺産暫定リストに登録され、軍艦島が世界遺産になるかもしれない。個人的にも十分に世界遺産にする価値のある島だと思う。

九州一周の旅観光初日から、今回の旅のハイライトのひとつを満喫してしまった。旅はこれから3週間ほど続くので、あまり最初の方に楽しい思いをすると後が退屈になるんじゃないかと、変な心配をしてしまう。

 

長崎港ターミナル内の食堂で昼食を済ませ、次の目的地の雲仙へ向かう。長崎市内の観光は半年前の旅で済ませているので、今回は一切立ち寄らず。しかしせっかく長崎まで来たのだから市内の様子を写真に撮っておこうと、車で信号待ちしている時に走ってきた路面電車をパシャリ。ハイ、市内撮影終わり。

 

雲仙地獄

あちこちで上がる白い噴気

雲仙と言えば、1990〜1995年にかけて噴火活動を続けた雲仙普賢岳が有名。その普賢岳の観光名所である雲仙地獄に立ち寄り。日本各地の「地獄谷」と名の付く噴泉地と同じように、地面から白い噴気を上げ硫黄の匂いがする。とりあえず遊歩道を歩いて雲仙地獄をぐるっと一周。遊歩道の途中に、雲仙を舞台とした映画「君の名は」で話題になったらしい「真知子岩」という岩がある。聞いたことも無い映画なので調べてみたら、1950年代のものだった。

真知子岩

真知子岩付近からの眺め

個人的に特別な見所も無く雲仙地獄の観光は終了。この手の噴泉地は何箇所も観光しているが、立山黒部アルペンルートにある室堂平の地獄谷が圧倒的に印象強かった。それと比べてしまうとどうしても物足りない。それと、初っ端から軍艦島観光して満足してしまったので、真面目に観光する気が起きない。これからの旅行日程で軍艦島に勝るとも劣らないような観光スポットと言えば、鹿児島県の屋久島と種子島。どちらの島も未踏地なので観光するのが今から待ち遠しく、そしてこれからの天気がとても気になる。

一際目を惹いた、桜?

 

みずなし本陣ふかえ

次は日本一周の旅でも訪れた、「道の駅 みずなし本陣ふかえ」に立ち寄り。日本一周で立ち寄った時は、昼に施設内の温泉で長湯し、その後に居眠り運転でタイヤを縁石にぶつけてしまったイタイ思い出がある。10年振りにその温泉に入ろうということで立ち寄ったのだが、お目当ての温泉施設が見当たらない。施設内の売店の店員に聞いてみると、温泉は6、7年前に終わってしまったとの事。そんなに前から無くなっていたのか。何気に楽しみにしていたのでショック。

雲仙普賢岳がかすれて見える

土石流被災家屋保存公園

せっかく立ち寄ったので、施設内にある土石流被災家屋保存公園を見学。公園内には11棟の被災家屋が保存されていて、そのうちの3棟は大型のテント内にある。公園内にある家屋は全て、平成4年8月8日〜14日の土石流の被害にあったもので、平均約2.8m埋没している。九州では現在、鹿児島県の新燃岳と桜島の火山活動が活発化していて、旅行後には熊本県の阿蘇でも噴火が起きている。どうして九州ばかり火山が活発なのだろうか。

 

島原城の観光は翌日を予定していたが、みずなし本陣ふかえで入浴出来ず時間が余ったので、サクッと観光してしまう事に。島原城の天守閣は復元天守、しかも天守閣の周りが駐車場になっていて景観もイマイチなのが残念。それでもせっかく訪れたので入城料\520を払って天守内へ。

島原城

島原城

復元天守の内部はお決まりのように普通の近代建築で、刀や鎧など昔の品々が展示される資料館になっている。写真撮影は禁止。何故復元天守は何処も外装のみの復元で、内装は普通の鉄筋コンクリート造なのかと毎回思う。内装まで昔と同じ木造構造にするにはお金がかかり過ぎるからだろうか。

天守最上階からの眺め

天守最上階からの眺め

天守最上階からは島原市内を一望。南西方向に見える山は普賢岳だろうか。それにしても遠くの景色が随分と霞んで見晴らしが悪い。早々に天守を下りて、天守の周りをぐるっと歩いて島原城観光終了。う〜ん、物足りない。非常に物足りないので、旅行計画では観光保留(時間が余ってかつ気が向いたら立ち寄ろうかなと思った場所)にしていた武家屋敷町並み保存地区も観光する事に。島原城駐車場に車を残したまま城を出て、すぐ側にある武家屋敷町並み保存地区へ。

 

武家屋敷町並み保存地区

武家屋敷町並み保存地区

武家屋敷町並み保存地区には、石垣で囲まれた細長い一直線の道が延びていて、真ん中にこれまた細い水路が通っている。石垣の中に建つ民家はほとんどが普通の家だが、石垣でだいぶ隠れているので情緒ある町並みを感じ取ることが出来る。人通りはほとんど無く静まり返っていて、何だか郷愁感も漂う。この水路の流れる通りには、無料で見学できる武家屋敷が3軒ある。しかし見学時間は17:00まで。すでに16:40をまわっていたため3軒全てを見学するのは無理そうだが、とりあえず最初の武家屋敷を目指して長い通りを歩く。

鳥田邸

鳥田邸玄関

まず鳥田邸という武家屋敷の見学。靴を脱いで家の中へ上がる事が出来る。と、シンとした家の中で突然人の姿と出くわしビックリしたが、当時の生活の様子を再現した人形だった。柱や戸、棚などの木はかなり年季が入っていて、実際に武士が住んでいた江戸時代の面影を感じる。

皆さん食事中

いい雰囲気

当時の状態を保った武家屋敷を無料で見学できるのと比べると、先に観光した復元天守の島原城はやはり物足りなさを感じる。外観だけを再現した城よりも、昔からの状態を保ち続けている民家の方が見応えがあるし価値を感じる。ところで武家屋敷には係員も誰もいないが、イタズラされたり備品を盗まれたりしないのだろうか。

鳥田邸の向かいは空き地になっていて羊が二匹。説明書きによると、イギリス産のサフォークという種とニュージーランド産のコリデールという種の羊。羊に雑草を食べさせる事で、雑草処理費用の軽減と省エネを図るのが目的らしい。

篠塚邸

2軒目の武家屋敷は篠塚邸。ここにも等身大人形はいるが、突然人の気配を感じ後ろを振り向くと、玄関にお婆さんがいたのでビックリ!閉館時間になったので武家屋敷を閉めに来た人だった。お婆さんの話によると、この武家屋敷は最近まで普通の民家として使われていたとの事。それにしては随分と状態がいいので、これまでずっと大切に使われてきたのだろう。残りの1軒もまだ見学できると言うので、篠塚邸の向かいにある武家屋敷へ。

篠塚邸台所

ここにも人形

3軒目の武家屋敷は山本邸。見学した3軒の武家屋敷の中で一番大きい。居間には3体の人形が並んでいるが、1人はマリを持って、1人は着物の仕立てをしているようで、1人は足元に凧?があるさっぱり分からない組み合わせ。人形をじっと見ていると何だか動きそうでコワイ。山本邸には武家屋敷のパンフレットが数カ国語分置かれていたが、日本語版だけ品切れになっていたのが残念。

山本邸

これは何をしているのだろう

光が射しこみ綺麗

広い山本邸

結果的に3軒の武家屋敷全てを見学する事が出来た。武家屋敷町並み保存地区になっているこの町は、70石以下の下級武士の住まいとして碁盤の目のように整備され、当初は石垣が無く隣の家が丸見えで、まるで鉄砲の筒の中を覗いたかのように見えたために、「鉄砲町」と呼ばれるようになったらしい。その後1775年に石垣が造られて今の町並になったとか。島原城観光のついでに立ち寄った町並み保存地区であったが、予想に反してとても見応えのある場所で、島原城よりもずっと楽しむ事が出来た。

 

武家屋敷の隣にある学校

島原駅

武家屋敷から島原城の周辺を軽く散策。山本邸の前を通る道路には中学校があり、門や壁がお城風のデザインになっている。鉄道の島原駅もお城風駅舎。

日も傾きお腹も減ったので散策は直ぐに止めて島原城へ歩いて行くと、城の全景を見渡せる場所に出る。広大な堀の上に立ち並ぶ松の木やのぼりが存在感を引き立てている。これはなかなか迫力のある構図だ。夜になったらライトアップされると予想し、日没後にもう一度訪れる事にした。

島原城

珍しい事に今回の旅では、時々ご当地グルメをしようと考えていた。で、予め調べておいた島原城の前にある「姫松屋」という店へ。島原の郷土料理である「具雑煮(ぐぞに)」という雑煮の元祖の店らしい。注文したのはもちろん具雑煮。大盛りで\1180。鍋焼きうどんの土鍋のような器のふたを開けると、丸い餅が沢山乗っていてその下に沢山の具が入っている。具は全部で13種類も入っているらしい。これは本当においしい。

姫松屋

具雑煮

中にはいろんな具が

食後は島原城の駐車場に戻り車で入浴施設へ。地図に載っていた市内の入浴施設へ行くと、工事中?で入口が閉ざされていた。みずなし本陣の温泉と言いツイてない。側にあるスーパーの店員に最寄の日帰り温泉を教えてもらい、やっと入浴施設にたどり着ける。入浴は出来るだけ毎日したい。

入浴後は再び島原城へ。期待通り城はライトアップされていた。21:00を過ぎていて城内に人の姿は全く無い。暗闇の中を白く光る天守閣を間近で見ると少し不気味。ふと壁に映った自分の影にビックリしてしまった。

島原城の眺めがいい例の場所へ行くと、ライトアップされた天守閣と櫓が城池にくっきりと映り込んでいて、なかなか絵になる風景になっていた。写真はだいぶ白飛びしてしまったが。。徒歩で堀のまわりを一周して他にいい眺めは無いか探してみたが、他の場所からだと天守閣や櫓が木に隠れているのがほとんどで、写真の場所がベストビュースポットだった。

 

島原から翌日観光する佐賀県へ向けて車を走らせていると、途中で雨がポツポツと降り出す。すぐに雨は止んだが天気予報では翌日、翌々日と雨。2日も雨天が続くのは旅に支障が出るので困る。天気の心配をしながら車を走らせ佐賀県に入り、23:30に「道の駅 鹿島」に駐車して就寝。

 

本日の食事

朝食 ジョイフル 豚汁定食
昼食 長崎港ターミナル フライ定食
夕食 姫松屋 具雑煮

夕食は珍しくご当地グルメ。