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2011年4月20日 6日目 (晴れ) 熊本県宇城市⇒鹿児島県南さつま市

走行距離:255.0km(合計:2199.2km)

給油:00.00L(合計:97.37L)

 

4:00頃に寒さで一度目を覚まし、再び眠り今度は8:00に携帯電話の目覚ましで起床。空は雲ひとつ無い快晴。6日目午前中の観光は熊本県美里町の石橋巡り。熊本は石の文化の宝庫で、石橋は県内に270ほどあるらしい。前日に不知火町松合ビジターセンターでもらった熊本県宇城地域の観光ガイドブックと周遊マップを見て、観光する石橋の場所を確認。美里町にある石橋の多くは国道218号線沿いにあり、その中から選んだ9箇所の石橋を効率よく回れるよう順番を決めて出発。

小筵橋

車は軽まで

石橋巡り1箇所目は小筵橋(こむしろばし)。農家の住宅地に入るための小さな橋。1829年に造られた事になっているが、はっきりとした資料が残っていないので断定できないらしい。かなり古い石橋ではあるが、見た目が普通過ぎるからか個人的には見応えを感じない。「軽自動車を超える重量の車両通行はご遠慮下さい」と注意書きがあるが、200年近く前の石橋なのに軽自動車なら通っても大丈夫なのは凄いと思う。

2箇所目の石橋は二俣橋(ふたまたばし)。釈迦院川と津留川の2つの川の合流点にあり、2つの橋がそれぞれの川に架かりL字型に繋がっている。1822年に造られた橋で、それぞれ約28m。こんな風に2つ並んだ石橋はなかなか珍しいのではないかと思う。石橋は歩行者専用で、津留川に架かる石橋の隣には車が通れるコンクリート製の橋が架かっている。コンクリート製の橋があまりにも石橋に近くて景観を損ねてしまっているように感じる。しかし地元住民の生活に必要なものなので仕方ないのか。

二俣橋

津留川に架かる二俣橋

釈迦院川に架かる二俣橋

二俣橋の釈迦院川に架かる石橋からは、大きなアーチ橋とその手前に工事中?の白いネットが張られた橋が見える。アーチ橋もかなり古そうだが、レンガ造りの橋のようなので石橋巡りとは関係ないという事で、3箇所目の石橋の年祢橋(としねばし)を、二俣橋から歩いてしばらく探し回る。しかしなかなか見つけることが出来ない。気温は上昇し結構暑くて汗が出てくる。これ以上探しても無駄に時間と体力を消費するだけなので、仕方なく年祢橋は諦める。

国道から見下ろす二俣橋

二俣橋から見る国道と奥に年祢橋

車に戻るため国道218号線を歩き、橋に差し掛かった所でふと下を見たら二俣橋が見えた。二俣橋の造りがよく分かる面白い眺め。そして自分がいる国道の橋が二俣橋から見上げた白いネットが張られた橋である事に気付く。ここで改めてガイドブックに載っている年祢橋の写真を見て、二俣橋から見上げたアーチ橋が年祢橋である事にも気付く。つまり自分がいる国道の隣に散々探して諦めた年祢橋があり、さらには車を停めて二俣橋へ歩いて向かう時に年祢橋を渡っていた。何てこった、全然気付かなかった。レンガ造りに見えたが石造りだったし。無駄に歩き疲れた。一応二俣橋から年祢橋の写真を撮っておいてよかった。年祢橋の完成は1924年と、先に訪れた小筵橋や二俣橋よりも約100年後に造られている。それでも十分古い。

思い込みや不注意で無駄に時間と労力を消費してしまったが、気を取り直して石橋巡り4箇所目の馬門橋(まかどばし)へ。国道脇に車を停め、農道を歩いて木の茂った細道に入って行くと姿を現す馬門橋。人知れずひっそりと佇んでいる…という雰囲気があり、人が通ることは滅多に無さそうな感じがある。馬門橋のすぐ隣には国道に架かる橋の橋脚がある。1827年に造られた馬門橋。現在の国道が出来る以前はこの橋が使われていたんだろうなぁ、と勝手に昔を想像。

馬門橋へ続く農道から

馬門橋

馬門橋

石橋5箇所目は1849年に造られた大窪橋(おおくぼばし)。橋の手前に電子レンジが置かれていたので、不法投棄されたものかと思ったらそうではなかった。扉に「美里町石橋マップ ご自由にお取り下さい」と書いてあり、扉を開くと中には地図が。これは笑える。確かに雨天時の防水性が高そうだし、いちいち箱を作るよりも楽だな。ナイスアイデアだと思う。電子レンジの中の地図を一部貰い、地図に載っている石橋の数を数えると43もある。美里町だけでそんなにあるのか!さすがに全部まわっていられないし途中で飽きると思うので、計画通り観光ガイドブックに載っている有名?な石橋だけ回る。

大窪橋の電子レンジ

大窪橋はこれまでに見てきた中で一番小さな石橋だが、緩やかな弧を描いた形がとてもいい感じ。橋の周りには黄色い花が咲いていて長閑な風景。この橋の隣にも車が通れる橋が架かっている。最初に訪れた小筵橋以外は、石橋の隣に車が通れる橋が架かっていた。

大窪橋

大窪橋

6箇所目の石橋霊台橋(れいだいきょう)も、直ぐ隣に国道の橋が架かっている。霊台橋はこれまで見てきた中で最も大きな橋で、長さは89.8mある立派な石橋。完成が1827年と他の石橋同様古いが、パッと見は結構きれいな感じ。霊台橋から川の上流を眺めると船津ダムが見える。

霊台橋

船津ダム

緑川ダム

暑くて少し疲れたしお腹も空いたので、霊台橋のにあるベンチに腰かけ、事前にコンビニで買ったパンを自販機で買ったジュースで流し込む。周囲に手頃な飲食店が無いので仕方がない。山の中ではさすがのジョイフルも見掛けない。霊台橋から国道を北東へ向けて走り続けると、半年前に訪れた通潤橋がある。通潤橋は土日の正午に観光放水が行われる水道橋で、熊本で最も有名な石橋。半年前に見た放水が素晴らしかったので、もう一度観光してもいいかなとも思っていたが、残念ながらこの日は平日で放水は行われないので、やっぱり立ち寄るのは止めた。

霊台橋から国道を少し進んで右折し、緑川ダムの上を通って石橋7箇所目の雄亀滝橋(おけだけ橋)へ向かう。細い山道を車で奥まで進み、水路が通る遊歩道を2、3分歩いて雄亀滝橋に到着。これまでの石橋は国道沿いにあったが、雄亀滝橋は随分奥まった所にある。よくこんな山奥に石橋を造ったものだなと思う。熊本に多くの石橋が残っているのは、溶結凝灰石という加工しやすい石が豊富にあった事と、「種山石工」と呼ばれた石橋を架ける技術集団がいたからで、雄亀滝橋は種山石工が1817年に完成させた最初の水路橋らしい。通潤橋はこの橋をモデルに造られたとか。

水路が通る遊歩道

雄亀滝橋

雄亀滝橋

雄亀滝橋周辺にある他の石橋2箇所も回るつもりだったが、案内板など行き方を記したものが見当たらず、2箇所とも見つけることが出来ず諦める。まぁこれ以上石橋ばかり見ても飽きてしまうのでいいかなと。次は熊本県最南部にある水俣病資料館に行く予定でいたが、時間はまだ12:00前とだいぶ余裕がある。ならば近くにある「日本一の石段」へ行ってみようかと考える。しかし階段を登るとなると結構時間が掛かりそうなので迷う。登るか登らないかは後にしてとりあえず石段まで行く事に。

 

釈迦院へ続く石段

熊本県三里町にある日本一の石段は、昭和63年に完成した3333段の階段。山の上にある釈迦院へ続く参道になっていて、正式名称は「釈迦院御坂遊歩道」。日本一と言われると登ってみたくなるが、3333段登るのにどれくらいの時間が掛かるのか予測できないし、不摂生な車中泊の旅をしているので体力にも自信が無い。でもやっぱり登ってみたい…という事で、意を決して登る事に。12:40石段登り開始。

日本一の石段!

急がず一定のペースを保って登るつもりでいたが、自分より後から登り始めた高齢男性がグングン差を縮めて来るので、意識してつい足早になってしまう。一応富士登山経験が6回ある自分としては、高齢者に追い越されるのはかなり悔しい。そんな無意味な根拠から生まれた闘争心に自制心はあっさり負け、後ろの高齢男性に抜かれまいとハイペース気味で登り続ける。

百段目

まだまだ余裕

五百段目

たまに立ち止まる程度で休憩は取らず、黙々と登り続け千段目を超えた辺りで、後ろを歩いていた高齢男性の姿が見えなくなる。何だかホッとした… 少々足に疲れは感じるものの、意外とまだまだ余裕があるので、ペースを落としてさらに登り続ける。千五百段目を越して半分まで登った辺りで、勾配の緩い石畳の林道に入る。ずっと石段を歩いていたのでいい気分転換になる。束の間の林道を経て再び石段は続く。

千段目

やっと半分の千五百段

初めての林道

石段を登り始めてから約35分で二千段目に到達。思っていたよりも早い。しかしだいぶ疲れてきた。そしてかなり暑い。二千二百段目の石柱の文字を見ると、千の位が「貮」で百の位が「弐」という漢字が使われているのに気付く。昔はそういう使い分けがされていたという事だろか。

テレビで紹介されたらしい

二千段目

「貮」と「弐」

2度目の林道

二千二百段目を過ぎた辺りで2度目の林道に入り、直ぐにまた石段は続く。それにしても人通りがほとんど無い。二千段目まで登る間に後ろから追い越されたのは1人、上から下りて来てすれ違った人は10人もいない。本当に少ない。登頂間近の三千段目まで登った所で、上から駆け足で下りて来る人がいたので写真を撮ってもらう。そして「2500段目まで下りてまた頂上まで行くから待ってな、写真撮ってあげるから」と言って駆け足で下りて行った。え、マジ…どんだけ体力あるのよ。

二千四百十七段

遂に三千段目!

あと三十三段!!

登り初めて約60分で三千百段目。さすがに足がしんどい。足を止めて息を整えても、歩き出すと直ぐに息が上がってしまう。しかし万が一にも、さっき写真を撮ってもらった人に追いつかれるのは自分が許せないので、気合で重い足を上げて石段を登る。そして13:47、やっと日本一の石段の頂上に到着。3333段を登り切るのに掛かった時間は約70分。思っていたよりも早かった。

三三三三で日本一!!

三三三三段目の石段に腰を下ろして暫しの休憩。昼食を食べていなかったのでかなり空腹。屋久島での登山用に持参してきた栄養補助食を食べて空腹をごまかす。登頂してから10分ほど経った頃に、例の駆け足の人が到着。約束どおり写真を撮ってもらう。その人は石段の完成当時からしょっちゅう上り下りしていて、最高で1日11往復したとか。凄すぎる…足の筋肉も凄い事になっている。70分かけて登頂して疲れている自分が情けない。

まだ先があるのか…

石段頂上から釈迦院まではさらに1100mの道のりがあった。正直これ以上先へ進むのは面倒だが、ここまで登っておいて釈迦院まで行かずに引き返すのもアレなので、しぶしぶ歩き始める。石段はずっと木々に囲まれ外の景色は見えなかったが、ようやく視界の開けた場所に出て周囲の景色が広がる。3333段も登っただけあって随分高いところまで来ていた。途中にある休憩スペースで家族連れが休憩しているのを見かける。久しぶりにまとまった人数の人を見た気分。休憩スペースの片隅には「祈願 SOYJOY日本一」と書かれた看板が。偶然にも3333段登り切った所でSOYJOYを食べていた。

随分高いところまで来た

SOYJOY

石畳の道を進む

疲れた足取りで淡々と石畳の道を歩いて釈迦院に到着。そして石畳の道は車道と繋がっていた…車でも登れるのかよっ!苦労して3333段の石段を登り切った達成感と気力を半分以上奪われた。まぁ、日本一の石段を自分の足で登った事に大きな価値がある訳だし、石段を登った方が御利益もあるに違いないと思う事にした。気を取り直して釈迦院の境内へ。

釈迦院桜門

釈迦院本堂

境内に人の姿は無くシンとしている。釈迦院は日本三高野の一つとして広く世に知られているらしいが、自分にはその意味が分からない。桜が咲いているのが綺麗な他に特に見る所も無く、早々に来た道を引き返す。

石段頂上から見下ろす

当たり前の話だが、帰りは3333段の石段を下りなければならない。精神的にもしんどい。しかし後の予定が控えているので、登りに掛かった70分の半分で下りるのを目標に早足で歩く。下りと言えども、登りで疲れた足には硬い石段が負荷になる。疲れてペースが落ちても立ち止まらずに歩き続け、目標通りちょうど35分で一番下に到着。足はもうガクガク。翌日以降筋肉痛で旅に支障が出ないか心配になる。当分山登りやハイキングのような事はしたくない。が、予定では3日後に屋久島の登山が控えている。体力勝負な旅にも程がある…

下りも楽ではない

 

日本一の石段から熊本県を南下して水俣市に向かう。水俣病資料館の閉館時間は17:00。間に合うか微妙だったので、空腹でも食事は後回しにして車の運転を優先。しかし道路は途中途中で混雑していてなかなかスムーズに進まない。途中からもう間に合わないと悟ったが、とりあえず資料館まで車を走らせる。

水俣病資料館

17:10水俣病資料館に到着。当然閉館していた。しかも入館は16:30までだったので、到底間に合わなかった。分かってはいたけど悔しい。資料館手前の芝生広場から日の入りが見られそうなので、日没間際になる前に空腹を満たそうと、すぐ側にある道の駅の食事処へ。しかし店は休業中だった…

遅かった…

店の前のベンチに腰掛け、自販機で買った炭酸ジュースで空腹をごまかし、食事はもう少し我慢してこれからの計画を練る。水俣病資料館に翌日朝に再訪するか、それとも資料館の見学は諦めてこのまま先へ進むか。水俣市から次の目的地までは結構距離があるので、翌日の午前中に資料館見学をするとなると、その後は1日移動だけになってしまう可能性がある。雨天ならば丁度いいが、翌日の天気予報は晴れとなっているので、それではもったいない。それに長距離移動は道路の空いている夜間にした方がスムーズに進むし、夜の時間を有効活用できる。ということで、迷いに迷った結果水俣病資料館の見学はキャンセル。元々熊本から鹿児島までの移動の間に観光する場所がひとつも無かったので、移動ついでに寄り道しようと思った場所だし。

資料館に映る夕日

芝生広場から眺める夕日

18:30をまわり再び水俣病資料館の芝生広場へ。空に雲はほとんど無く、鮮やかに輝く丸い夕日を眺めることが出来た。資料館の窓ガラスに映り込む夕日も印象的。なかなか満足な夕日を見る事が出来たところで、温泉地に向かいつつ途中で食事。お約束のジョイフルに入り、230gのステーキを食べてやっと空腹から解放される。しかしステーキだけでは物足りずもう一品注文しようと思ったが、直ぐ後に入浴が控えているので止めておく。あまり満腹の状態で入浴するのは体に良くないと、最近テレビで見てから注意しているのだ。

 

水俣病資料館へ向かう途中に、温泉地を案内する道路標識を目にして入浴しようと決めていた中村温泉へ。道路標識に表示されるくらいなのだからそれなりに大きな温泉地なのかと思いきや、温泉旅館らしき建物がポツポツとあるだけで辺りは暗く、人も車の通りもほとんど無い。場所を間違えたのかと思い、通りにある小さな売店の店員に尋ねると、間違いなく中村温泉だった。そして、「入浴するの?あるよ、400円」と言われ、よく分からないまま売店から徒歩で連れて行かれたのが「中村温泉 家族湯」と書かれた平屋の民家のような建物。え、ここが温泉?中に入ると8畳ほどの脱衣場があり、浴室には長方形の普通の湯船が1つ。 イメージしていた温泉施設とは随分違うが、せっかく案内してくれたのに断り辛いし、ある意味ネタにもなるので入浴する事に。

中村温泉

家族湯という事で、どうやら貸切らしい。そう考えると入浴料400円は安い。1人でのんびり出来るので結構いいかもしれない。熱い湯が苦手な自分には丁度いい湯加減だったので、のぼせずにのんびり浸かっていられるのもいい。しかし何故かシャワーが出ない。おそらく故障ではなく元栓でも閉まっているのだろう。まぁいいさ、浴槽の湯を使うから。そんなこんなで1時間ほど入浴。

脱衣場で入浴料を払う時に500円玉を渡したら、お釣りが手元に無いから帰りに店に取りに来てね、と言われたので入浴後に店に行くと、シャッターが閉められ既に閉店していた。おいおい…まぁいいさ、入浴料は500円だった事にしておこう。

 

入浴後は鹿児島県の南にある開聞岳を目指して国道を南下。約3時間車を走らせ24:00を回ったところで、鹿児島県南さつま市の「道の駅 きんぼう木花館」に車を停める。開聞岳まで残り50kmはあるので、あと2時間前後は掛かる。やはり水俣病資料館の見学は諦め、夜のうちに移動して正解だった。交通量が少ない夜間でも5時間程度掛かる距離では、日中だと更に時間が掛かる。翌朝に水俣病資料館に行っていたら、その後は間違いなく夜まで移動に時間を割くハメになっていた。24:30就寝。

 

本日の食事

朝食 コンビニ パン
昼食 - -
夕食 ジョイフル ステーキ

昼は日本一の石段を登りきったところで栄養補助食を食べただけ。