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2012年5月17日(木)  巡拝32日目  曇のち晴

参拝札所:84・85・86・87番

歩行距離:35.9km

合計距離:1,115.6km

出費額:¥1,996

合計額:¥176,071

 

3:20起床。隣の部屋で寝ているお遍路さんを起こさないように、静かに布団を畳み荷物をまとめ、廊下を忍び足で歩いて1階に下りる。外に干した洗濯物は靴下だけ乾ききっていなかった。そういえば下着類は全て「速乾性」を売りにしているものを買ったが、速乾性ではないものと乾く早さがあまり変わらない気がする。速乾性とは洗濯時の乾く早さの事ではなく、身に付けていて汗をかいた時の効果の事なのだろうか。まぁいい、おそらく四国遍路で洗濯をするのはあと1、2回だし…などと考えながら、リビングで菓子パンを2つ食べて軽く腹ごしらえをし、4:00に宿を出て第八十四番札所へ向かう。

深夜の国道を歩く

外は真っ暗、住宅地の通りは人通りも車の通りも滅多に無い。深夜の割りに気温が高くムッとしていて、歩き始めて直ぐに体が熱くなる。市街地特有のヒートアイランド現象だろうか。宿から2kmほど歩いて国道の大通りに出ても車の通りは非常に少ない。こんなにひと気の無い深夜の街中を遍路姿で歩くのも変な感じだ。高松市の中心部に入る頃にはだいぶ空が明るくなるが、まだ人影はほとんど無い。狙い通りだ。

誰も居ないアーケード商店街

5:00を回っても車の通りがほとんど無い

吉野家で朝食

高松市内中心の遍路道は真っ直ぐな国道で、道は平坦で歩きやすくテンポよく進んでいく。この調子では納経所が開く7:00よりずっと早く札所に着いてしまいそうな勢い。時間に余裕があるので、早朝でも営業しているファミレスか牛丼屋でもあったら食事をしていこうと考える。特別空腹ではないが食べられる時に食べておいた方がいい。そしてタイミング良く吉野家があったので入店し定食を注文。空腹でもないのに店で食事をするなんてこれまで無かった気がする。いつも歩き疲れて空腹でたまらなくてやっと飯にありつく、という感じだった。今日は随分余裕のある出だしだな、と思ったがそれはここまでだった

吉野家を出てすぐに横道に入り、住宅地を歩いて札所がある山へ向かう。まだ山道に入る前の住宅地の道からかなりの急坂。遍路地図で見る限り険しい道のりには全然思えなかったので、想定外の急坂に先ほどまでの余裕は一気に打ち消される。そして山道に入ってからも急な上り坂は続く。道は舗装されていて歩きやすいようにはなっているが、10kgの荷物を背負っている自分にはかなりキツイ勾配。あとどれだけ歩けば着くだろうかと思ったところで、「約30分 山上に向かって頑張ろう」と書かれた案内板。こんな急な坂道を30分も歩き続けなければならないのかと、気が重くなる。この道は地元の人の朝の散歩コースになっているようで、ラフな格好をした高齢者と時々すれ違い、そして追い越される。あぁしんどい。山道に入る直前にしっかり食事をしておいて本当によかった…

かなりの急坂

イノシシっ!?

あと30分も…

終わらない坂道

 

第八十四番札所 屋島寺(やしまじ) 山門

屋島寺 本堂

想定外の山登りにクタクタになりながらも、7:00に第八十四番札所屋島寺に到着。納経所ではお菓子のお接待をいただく。境内には何やら動物のようなものを模った像が2体。何かに似ている気が…そうだ、「かわうそくん」だ。いや、よく見たら狸のようだ。

屋島寺 大師堂

この像は何?

 

屋島寺を出て直ぐに眺望のきく見晴台に出る。目の前には半島状の陸地。遍路地図で確認すると、これから向かう第八十五番札所はあの半島の山の上。ということは、今いる山を下りて半島へ渡り、また山を登るということになる。まぁ距離的には5kmちょっとなので大した道のりではないのかもしれないが。しかし普段の生活の感覚では、この景色を見てあの山まで歩いていく事を当たり前のように思う事などありえない。歩き遍路はいろいろと非日常度の高い旅だ。

天気が残念

第八十五番札所がある半島を眺める

晴れていればねぇ

屋島寺までの上り道は急勾配だったが、下りもまた急勾配で足先に負担が掛かる。見晴台から未舗装の山道を下って行き、途中から舗装された道に入ると坂はさらに急に。本当にキチガイみたいな急勾配の坂道がほぼ一直線に続いている。こんな急坂なら歩行距離が増えてもつづら折りの道の方がいい。

未舗装の急な山道を下る

舗装路はさらに急な坂道に

あー本当に疲れた

あまりの急坂に足に多大な負荷が掛かり、座って休憩できるところはないかと探しながら歩いていると、遍路のために設置されたベンチを発見。荷物も下ろさずベンチに座り込む。急な登りは体力的に辛いが、急な下りは足先に体重が掛かり、足への負担は登りよりも大きい。これまで何度も山越えをしてきたが、それでも足が鍛えられたという実感は無く、1000kmを超えてもやっぱり足は辛い。足だけではなく体力そのものも鍛えられた感がほとんど無い。普段は運動を全くせず体を鈍らすような生活をしているからだろうか。歩いて四国を一周するくらいでは心身共にたくましくはならないらしい。

何とか屋島寺のある山を下り、田園風景の広がる町の中を歩き、第八十五番札所がある山へと向かう。そしてまた山道に入る手前の住宅地から上り坂。道の先には特徴的な形をした山がそびえ立っている。あの山のどの辺りまで登らなければならないのだろうか、などと考えると気が滅入るので、余計な事は考えず黙々と先へ進む。

なんと!!…何が?

住宅地の細道を進む

また山登りか…

札所へ続く登山道の入り口まで来ると、八栗登山口駅というケーブルカーの駅が。これを利用すれば標高70mの登山口から札所すぐ手前の標高210mの駅まで一気に登れる。勿論自分は歩いていく。その前に駅のベンチ腰を下ろし缶ジュースを飲んでひと休み。駅には他に2人のお遍路さんが休憩していたので、声を掛けて少し談話。1人は女性のお遍路さんで何と韓国から来ていて、しかも四国遍路にハマッてしまい今回が3度目の四国遍路との事。そして遍路道で度々見かける韓国語の道しるべを貼っている人だった。これには本当に驚かされた。お遍路さんにも本当にいろんな人がいるものだ。

ケーブルカーには乗らない

頑張って山道を登る

またイノシシ

十分な休憩をとって山道に入る。屋島寺の山登りほどではないがこちらもそれなりにしんどい。空は曇っていて気温はそれほど高くないが、山登りを始めるとあっという間に汗だくになってしまう。ふと道路脇の手すりを見ると毒々しい色の毛虫が数匹!地面を見ると沢山の毛虫!!巡拝29日目に参拝した第七十一番札所弥谷寺の毛虫階段を思い出した。

お迎え大師の見晴台から

鳥居の先が山門

黙々と歩き続け、「お迎え大師」という像がある見晴台に着く。屋島寺側の見晴台からの眺め同様、曇っていて景色は霞んでしまっている。しかしこうも山を登ったり下りたりを繰り返すような遍路道では、快晴で良い景色が見られるよりも曇りで少しでも気温が低い方がいい。暑さによる体力の消耗は本当にしんどい。お迎え大師からすぐ先に見える鳥居の先に山門が見える。特徴的な形をした山のてっぺんまでは登らずに済んだ。

 

9:00ちょうどに第八十五番札所八栗寺に到着。納経所で墨書をもらうため納経帳を出した時に、雨に濡れてできた納経帳のシミを見たおじさんが「こりぁ〜勲章やな〜」と褒めてくれた。防水対策が疎かだった為にできてしまったものではあるが、雨の中を歩き続けた証拠でもある。別の納経所では、「本来納経帳はまっさらな綺麗なものではないのです、汚れていくものなのです」とも言われた。そう言われると自分の汚れた納経帳が、歩いて四国巡礼してきた正に勲章のように思えてくる。

第八十五番札所 八栗寺(やくりじ) 山門

八栗寺 本堂

八栗寺 大師堂

 

登ったら次は下り

山から海へ向かう

お接待のお茶

山を登ったら下りる、当たり前だけどこの繰り返しがしんどい。八栗寺を出てから陽が射すようになり気温が上昇。下山して海岸沿いから一歩入った住宅地を歩き、途中で冷えた缶のお茶のお接待を頂く。冷えてるうちにと、花が咲く石垣に腰掛けお茶を飲んでひと休み。そしてイエス・キリストの看板。ここまで四国巡礼をして来て、この手の看板を何度も目にしてきたが、四国のキリスト教信者は弘法大師に対抗しているのだろうか。とりあえずこの黒地に白黄の文字で書かれている内容が微妙に怖いんだよ。「キリストはすぐに来る!」とか「神の裁きは突然来る!」とか…何でこういう威圧的な看板にしたのだろう。

この看板怖い…

 

第八十六番札所 志度寺(しどじ) 山門

托鉢禁止

志度寺の五重塔

第八十六番札所の 志度寺に10:40到着。志度寺は山の上ではなく海沿いの平地。さすがに三度続けて山の上はしんどい。ただ、山の登り下りの繰り返しで疲れている割には順調に進んでいる気もする。参拝を済ませ納経所へ行くと、納経書きの若い女性が暇つぶしかスマートフォンをずっといじっている。雰囲気からしていかにもアルバイト。本来納経は坊主がするものなのだが、これではご利益も何もあったものではない。まぁ自分は宗教心は無いのでいいが、宗教心を持って参拝している人にとってはさすがに不快に感じると思う。これでいいのか四国霊場っ

志度寺 本堂

志度寺 大師堂

 

いよいよ残る参拝札所は第八十七番と八十八番、そして第一番札所霊山寺のお礼参りを入れて三箇所。長い長い四国巡礼の旅が本当にもうすぐ終わる。霊山寺から巡拝を始めた頃も、徳島高知と歩いて愛媛へ入り全行程の半分歩いた時も、まだまだ先は長く四国巡礼が終わるのは遠い先の事のように思っていたのが、気付けばあっという間だった。

Hollywood…じゃない

八十七番札所へ向かう

ランチ500円!

これで500円!!

昼時で腹も空いたところで、「ランチ500」の看板が目に留まる。店に入り500円の定食メニューを見てサイコロステーキ定食を注文。500円なので量も味も値段相応だと思っていたら、出てきた定食はボリューム十分、肉は柔らかくておいしい!これで500円はかなり安い。それから店内にいたお婆ちゃんに「満願おめでとうございます」と声を掛けられる。そう言われてもおかしくない場所まで来てしまった。

500円ランチに満足して歩き始めると、制服姿のかわいい女子中学生に「こんにちは」と笑顔で挨拶される。なんか嬉しいね。小さい子供や大人、特に高齢者からはよく挨拶をされるが、中学、高校生などの若者から挨拶される事は少なく、その中でも女の子から声を掛けられる事はあまり無い。見た目はお遍路と言えど、素性の知れぬ人間に声を掛けるのは若い女の子には抵抗があるのが当たり前。なのでたまに若い女子に挨拶されたりすると嬉しくて元気になる。お遍路にとって暖かい挨拶ひとつひとつが元気の源。

 

第八十七番札所 長尾寺(ながおじ) 山門

山門に鐘楼が吊り下げられている

13:10に第八十七番札所の長尾寺に到着。四国八十八箇所の八十七番目、とうとうここまで来た。しかし結願間近という実感はそれほど無く、いつも通りに参拝を済ませる。長尾寺には遅くとも14:00には着いているようにしたかったので、ここまで順調に進んでいる。何故昼過ぎには長尾寺に着く必要があったかと言うと…

長尾寺 本堂

長尾寺 大師堂

 

おへんろ交流サロンへ向かう

長尾寺から6kmほど遍路道を進んだ所に「お遍路交流サロン」というのがあり、そこに立ち寄れば四国八十八箇所をまわった証明書を発行してもらえる。閉館時間が16:00と少々早く、遅れれば翌日の開館時間まで待たなければならないところだが、予定よりも1時間近く早く進んでいるので安心して歩ける。証明書をもらって翌日に第八十八番を参拝して結願、そして第一番札所霊山寺へお礼参りをして本当に終わり。実感が無くとも翌日には四国遍路旅が終わってしまう。ここまでの多くの苦労や人との出会い、見てきた風景と道のりを、頭の中で巻き戻すように思い返していく。感慨深い。

とうとう次は八十八番札所

あと700m…

 

14:40、おへんろ交流サロンに到着。「前山地区活性化センター」という建物がそれで、窓口で挨拶をすると長机と椅子が並ぶ交流サロンに案内され、お茶とお菓子を出される。そして歩き遍路で結願(正確には八十八番はまだだけど)した証明書とも言える「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」を頂く。これは歩きで四国巡礼をした人のみに与えられるもの。車や公共交通機関を利用して四国参りをしたお遍路さんは受け取ることができない。任命書と一緒に「結願の寺 四季」と書かれたDVDも頂いた。DVDの内容は、各札所の画像や結願の寺大窪寺の画像と映像。

おへんろ交流サロン

四国八十八ヶ所遍路大使任命書はただの結願証明書ではない。名前の通り、四国遍路の文化を多くの人に広める遍路大使に任命するする、というもの。何だか歩き遍路経験者としての誇りと責任が科された気分になると共に、それだけ大きな事をやってきたのだなという充足感のようなものを感じる。自身のHPにこの四国遍路記を掲載する事によって、遍路大使としての役割を少しは果たせたのではないかと思う。普通は特に四国遍路に関心が無い限り、四国遍路とはどういうものかを知っている人は滅多にいない。自分もそうだった。四国遍路の素晴らしさを多くの人に知ってもらいたい。

ところで、おへんろ交流サロンから結願の地である第八十八番札所までは10km前後の道のりがある。何故八十八番札所のすぐ側でなく、八十七番と八十八番の間という中途半端な場所にあるのだろう。地理的な問題や、前山地区活性化センターの前に道の駅がある等の利便性の関係だろうか。四国八十八ヶ所遍路大使任命書をもらって八十八番に行く途中でリタイア、何て事は滅多に無いとは思うが。

遍路資料展示室

巡拝用具の紹介

前山地区活性化センターには「遍路資料展示室」がある。遍路に関する資料等が沢山展示されている。中でも個人的に興味深かったのが、昔の納経帳。昭和初期や明治時代のもの、文政や嘉永といった1800年代のものまである。308回四国巡礼した納経帳は御朱印で真っ赤(二度目以降の巡礼は同じ納経帳を用いて御朱印のみもらう)。遍路資料展示室を見てまわって、四国遍路の歴史と深さを改めて実感。そしてその四国遍路を経験することが出来た事に喜びを感じる。

昔の納経帳

308回四国巡礼した人の納経帳

 

この日はおへんろ交流サロンの前にある道の駅で野宿しようと決めていた。しかしサロンの人にその事を言うと、標高が少し高く夜間は寒いと言われ、やっぱり宿に泊まろうかと考える。遍路地図を見るとへんろ交流サロンから第八十八番札所までの間に宿は一軒だけ。満室の可能性大だがとりあえずその宿へ電話してみると、何と休業中だった。仕方なく当初の予定通り道の駅で野宿することに。きっとこれが最後の野宿になるのだから、寒さくらい耐えてやろうと。あと寝心地の悪さも…

5人で夕食

野外宴会状態

自分が交流サロンに着いた後からやってきた数人のお遍路さん達が一緒に夕食を食べるというので、自分も混ぜてもらうことに。閉店間際の道の駅の売店に入ると弁当などの食べ物が半額になっていたので適当に買い込み、レジでゆで卵のサービスもあり随分安く上がった。そして交流サロンの外にある屋根付きの休憩スペースで、16:00過ぎという早い時間から食べ始める。メンバーの1人がキャンプ用のガスバーナーを持っていて、冷めた焼き鳥をあぶり始める。そしていつの間にか缶ビールの6本ケース2つにチューハイ数本まであり、もはや宴会状態。遍路装備が無ければ仲間同士の飲み会にしか見えない。でもたまにはこういうのもいいかも知れない。皆自分と同じ歩き遍路で、ここまでのいろいろな出来事や苦労話などで盛り上がる。17:00頃から雷雨となり、不安定な空模様に。

本格的…

屋根の下を確保

宴会は19:00頃で解散し、道の駅で寝床を探す。とりあえず雨は止んだが、また降り出す可能性があるので雨に濡れない軒下を探すが、道の駅の軒下で寝袋を敷くのにいい場所は他のお遍路さんに先取りされていたので、道の駅の隣にある飲食店の物置小屋のような場所を使わせてもらう事に。硬く冷たいコンクリートの上に寝袋を敷く。寒く寝心地の悪いこの寝袋で野宿するのもこれが最後。と同時に、四国八十八ヶ所参り最後の夜になる。翌日は結願、そしてお礼参りで四国遍路最終日となるので、どうしても晴れて欲しい。最終日は青空の下を気持ちよく歩きたい。晴天になることを願いつつ20:00就寝。