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2012年5月18日(金)  巡拝33日目  晴

参拝札所:88・1番

歩行距離:50.0km

合計距離:1,165.6km

出費額:¥4,385

合計額:¥180,456

 

就寝時はそれほど寒くなかったが、深夜になるとやはり寒く何度か目が覚める。それと、虫が寝袋の中に入る夢を見て目覚めた時、寝ぼけて寝袋の中の虫を出そうとしきりに手で払う。イヤな夢を見た。そして2:00頃に土砂降りの雨音で目を覚ます。寒さと変な夢と雨音でまともに眠れない。雨はやがて止むが寒くて再び眠ることが出来ず、睡眠は諦め2:50起床。まだ深夜だが出発する事に。また雨が降り出すかもしれないので、レインウェアを着てリュックにレインカバーを被せる。荷物をまとめて3:20に歩き出す。

ど深夜に出発

おへんろ交流サロンから第八十八番札所大窪寺までの道のりは3通りある。女体山を山越えするコース、県道と国道を歩くコース、旧遍路道から国道に出るコース。この3つのルートの中で一番メジャーなのが女体山を山越えするコース。女体山には第八十八番札所大窪寺奥の院の胎蔵峰があるので、霊場的にも最も一般的な遍路道となっているが、女体山の山道は結構険しく足場の悪い所も多いらしく、夜間に歩くのはかなり危険。交流サロンの人にも夜間に歩くなら旧遍路道を勧められたので、旧遍路道を歩くことに。

旧遍路道に入る

旧遍路道は舗装されているものの、道幅は狭く曲がりくねっていて木々に覆われた林道。外灯は無く真っ暗闇なので、ペンライトで前方を照らして進んでいく。所々工事中の看板が立っていたり、遍路道の道しるべが見当たらなかったりと、歩いていて何だか不安になる。さらにイノシシ注意の看板があり、周囲から聞こえる音に敏感になり、少々ビクビクしながら歩く。暗闇から突然イノシシと鉢合わせなんてシャレにならない。

深夜の山中は結構寒い。雨に備えて身に付けたレインウェアは防寒にもなるので、出発前に着てきて正解だった。心配した雨は降らず、空が明るくなり始め空模様が分かり、雲が多いものの星も見えるようになりひとまず安心。旧遍路道を3.5kmほど歩いて県道に出て、県道を1.5kmほど歩いて国道に入る頃にはだいぶ明るくなる。ここまで車も人の姿も全く無し。

最初に現れた犬

国道沿いの小さな集落に入ると、一匹の白い犬が寄ってくる。犬は遊んで欲しいのか何かを言いたいのか、自分の顔を見ながら足元をぐるぐると回り、やがて遍路道を先導するかのように自分の前を歩き始める。ちゃんと後をついて来ているかを確認するかのように、犬は頻繁にこちらを振り向きながら歩いていく。犬と一緒に遍路道を歩く、何だかとても新鮮な気分。犬と歩き始めて少しすると、何ともう一匹白い犬が現れる。二匹はジャレながら自分のすぐ先を歩き、最初に現れた毛がふさふさした方の犬だけ何度もこちらを振り向いて様子を伺っている。後から来た犬は車の往来が全く無いのをいい事に、道路の右端に行ったり左端に行ったりの蛇行歩き。

まるで四国八十八ヶ所結願の地に、二匹の犬に案内されているような不思議な気分で遍路道を歩く。二匹の犬と山あいの国道を十数分歩いたところで、犬たちは民家のある横道に入っていった。おそらく放し飼いされている飼い犬の散歩だったのだろう。全くの偶然の出来事だろうけど、結願の直前なだけに特別な導きのように感じた。

もう一匹犬が現れる

二匹の犬はずっと自分のすぐ先を歩いていく

道の駅を出発してから約3時間歩いて、ようやく札所の建物が見えてくる。大きな仁王門があり、そのすぐ先には数軒の店が並んでいる。まだ6:20なのでどの店も営業していない。店の並びに札所へ続く石段があり、石段の反対側には公衆トイレのある小広場があり、広場では数人のお遍路さんが納経所が開く時間を待っている様子。先に参拝を済ませればちょうどいい時間になるだろうと、一足先に石段に足を踏み入れる。

第八十八番札所の仁王門

札所前の通り

 

遂に結願

石段を上がっていくと、第八十八番札所大窪寺の山門がある。実は先に見た仁王門も山門で、大窪寺には2つの山門がある。自分がくぐったのは「二天門」。仁王門と二天門が何なのか、どう違うのかはわからないが、二天門の方が趣があり山門として認知されているようす。二天門をくぐってさらに石段を上ると、境内に入り直ぐ先に本堂が建っている。遂に結願の地、八十八番目の札所大窪寺に辿り着いた。

第八十八番札所 大窪寺(おおくぼじ) 山門(二天門)

結願した遍路の勇姿

境内

八十八番なだけに、納経所が開く7:00前から境内には多くの参拝者がいると思いきや、他の札所と同様ほとんど人影は無い。いくら結願の地と言えども、山中の寺に早い時間から多くの参拝者が訪れることはないようだ。いつも通りに本堂、大師堂の順に参拝をしていく。

大窪寺 本堂

大窪寺 大師堂

大師堂の左側には、奉納大師像という小さな弘法大師の像が無数に並べられた場所がある。大師像の台座部分には、都道府県名と人名が書かれている。結願の記念に奉納するものと思われ。いくらで奉納できるのだろう。奉納大師像の奥には大きな大師像が立っている。

奉納大師像

奉納大師像

弘法大師像

原爆の火

大師堂の右側には原爆の火が。

この火は あの日 ヒロシマに落とされた原爆の火です

静岡県星野村の山本さんが叔父形見として郷里にもち帰り 大切に灯しつづけてきたものです

核兵器廃絶の願いをこめ ここに保存し永く人々の心によびかけます

1988年10月24日

…と刻まれている。

原爆の火の後ろには宝杖堂がある。結願したお遍路さんの杖が無数に奉納されている。自分は記念に持ち帰るので奉納はしない。

宝杖堂

宝杖堂に奉納されている杖

記念散華の台紙

ざっくり境内をまわってから納経所へ。納経帳に墨書と御朱印をしてもらい、ご本尊御影と記念散華をもらう。そして、第六十八番札所からもらっていた記念散華全23枚を貼り付ける台紙を購入。厚紙でできた台紙が1000円とは随分商売っ気を感じるが、せっかく記念散華を全部集めたので。ただ、台紙が微妙に大きくて曲げずにリュックに入れることが出来ず、お礼参りの第一番札所霊山寺まで手で持って歩いて行かないといけないのが難点。封筒に入れられているだけなので雨に降られたらびしょ濡れになってしまう。晴れていてよかった。

いつもと特に変わり無く、いつも通りの参拝で第八十八番札所大窪寺の参拝終了。無事に結願することが出来た感慨深さはあるものの、心の底から湧き上がるような大きな喜びや感動は無く、しかし心身の隅々まで四国遍路を成し遂げたという実感で満たされているような、そんな感じ。境内で出会った同年代の結願したお遍路さんも、自分と同じような気持ちだと話していた。でも単純に嬉しい事には違いない。という事で、結願の気持ちを山門の前で表現(笑)。

結願の喜びを表現してみた

 

釜揚げうどん

空腹だったので札所前の通りにあるうどん屋に入る。まだ準備中で開店前だったが、「かまげ」なら直ぐに用意できるよ〜との事で釜揚げうどん(大)を注文。これから第一番札所霊山寺へお礼参りに行くので腹ごしらえ。そして8:00に霊山寺へ向けて出発。前夜から雨が降り天気が心配だったが、願った通り青空が広がる快晴になった。日差しを浴びて青々とした山々の風景を眺めながら、清々しい気分で歩き始める。

霊山寺へ向けて歩き始める

のんびりとした風景を歩く

お礼参りとは、四国巡礼で一番最初に参拝した札所へ、無事結願出来たことの報告と感謝を込めて再度参拝すること。本来お礼参りはする必要はないらしく、多くの遍路が第一番札所霊山寺から四国参りを始めるため、霊山寺が納経料を2倍稼ぐための陰謀という説もあったりする。それでもやはり、最初の参拝所に戻って四国を一周したい、巡礼の軌跡の輪を繋げたい、という考えから多くの人がお礼参りをしている。自分も全く同じ考え。やはり四国をきっちり一周した方がより達成感がある。

大窪寺から霊山寺までの道のりは約40km。8:00出発で霊山寺の納経所が閉まる17:00前までに着くようにするには、1時間平均5km近く歩かないと間に合わない。納経に間に合わなければ巡拝初日に野宿をした道の駅でまた野宿をすればいいが、出来れば間に合わせたいので気合を入れてテキパキと歩く。しかし快晴のおかげで日差しが強く暑さで体力が奪われる。そして予想通り記念散華の台紙が微妙に邪魔。紙なので雑に持つと折れ曲がってしまうし、風が出ると煽られるし、地味にうっとおしい。少々買ったことを後悔しながらも、家に持ち帰り記念散華を台紙に貼り付ける楽しみを考えうっとおしい気分を紛らわす。

記念散華の台紙が邪魔…

休憩などせずに一気に山を下りたいところだったが、暑さが厳しく体力消耗してフラフラ。自販機を見つけたところでジュースを買って一休み。それでもあまりのんびり休憩はしていられないので、ぐいっとジュースを飲み干しすぐに出発。途中、後ろから走ってきた車が止まり飴のお接待を受ける。お接待のありがたみに少し元気が出て気合を入れ直し、大窪寺から3時間かけてやっと山を下り切る。ここまで約14kmの道のり、まぁまぁのペース。遍路地図には八十八番から一番までのお礼参りの道順は記されていないが、事前に何人かのお遍路さんから迷わず歩きやすい道順のアドバイスをもらっていてた。それを遍路地図に書き込んでいたので順調に進んでいく。

「十番」の文字が懐かしい

屋根の下で小休憩

ひたすら歩く

山を下りて直ぐに第十番札所への道を示す案内板が。あっという間に巡拝3日目に参拝した札所まで来てしまった。十番付近から九番付近まで、巡拝3日目に歩いた道を逆向きに歩く。見覚えのある風景がいくつもあり懐かしさを感じる。九番から十番に向けて順打ちで巡拝しているお遍路さんとすれ違い、まだ四国遍路を始めたばかりの初々しさを見る度に、自分がとても成長した気分になる。

あっという間に九番

コンビニ弁当で昼食

九番を過ぎてからは遍路道を外れ、一番へ最短距離で行ける県道をひたすら歩く。平坦な道が続くので一定のペースを保って歩き続けることができ、霊山寺の納経時間に何とか間に合いそうだと予測がつき気分が上がる。遍路道ではないので順打ちのお遍路さんとすれ違うことも無く、人通りもほとんど無い道を淡々と進んでいく。13:00にコンビニで弁当を買って昼食。本当は飯屋でちゃんとした食事をしたかったが、このコンビニを逃したら次は何キロ先に店があるか分からない。贅沢言わずに食える時に食っておく。これまでの遍路経験で学んだ事。

ひたすら県道を歩く

あと8km…

あっという間に三番

途中から強い風が断続的に吹くようになり、遍路笠が煽られ歩きづらいので笠を手に持って歩いていたところ、突風で笠が飛ばされ車道に落下。そして笠の落ちた車線に大型トラックが!1200km道のりを共に歩いてきた遍路笠が車に潰されてしまうっ!…と一瞬諦めたが、トラックは笠の前で停まってくれた。よかった… 笠は四国巡礼の記念品として自宅の部屋に飾るつもりでいた。結願も果たしあとはお礼参りだけという、本当に四国遍路終了間際で潰されたら落ち込んで暫く立ち直れなかったに違いない。

もう直ぐ霊山寺

16:00過ぎに霊山寺のある鳴門市に入る。あと2km、何とか納経時間に間に合うと確信し、これで本当に四国巡礼の旅を果たすことができるのだと高揚し、疲れた足に力が入り歩く速度が自然と上がる。大窪寺からの道のりは、緩やかな下山と残りはほぼ平坦な道が続いたとはいえ、40kmの道のりを8時間半で歩いた自分に感心。最後まで諦めずに頑張る、これも四国遍路で学んだ事。

二番の次は一番

 

第一番札所 霊山寺 山門

ノートに記帳

杖袋

16:30、第一番札所霊山寺に到着。思い返せば32日前に霊山寺に着いた時は、小雨で境内の様子は少し寂しい雰囲気だったが、お礼参りは快晴で境内の様子も自分の心も晴れ晴れとしていて気持ちがいい。ここで納経を済ませて本当に四国巡礼は終わり。納経所でのお礼参りの墨書と御朱印は住職からいただき、それからお茶とお菓子を出され座ってひと休みしつつ、住職から記帳をお願いされたノートに自分の想いを短く書き込む。結願した歩き遍路のみが記帳できるノートで、沢山の人の書き込みがある。改めて多くの人が四国遍路をしているのだと実感。それから遍路杖を収める杖袋を購入。何種類もあって少々迷い、一番モダンな色使いのものを選んだ。遍路笠と同じく、遍路杖も杖袋に収めた状態で部屋に飾りたいと思っていた。遍路杖は最終的には178mmも擦り減っていた。

納経所で記帳している時に、親子三人の一般参拝者に「お疲れ様でした」と声を掛けられ少しの間談話。納経所を出た所でも、車で四国巡礼をしてお礼参りに来たと言う女性二人に声を掛けられ、「結願おめでとうございます」と。お互い無事結願できた事を称えあう。他にも境内では明らかに複数の視線を感じ、自分が結願した事が分かる様子。遍路杖を杖袋に入れているからだろうか。結願を果たした遍路の風格が現れていたとは思えないし…それでも少しは自信や達成感の滲んだ表情をしていたのかもしれない。

これで本当に四国参り終了

四国をぐるっと一周した歩き遍路の旅は、当初の予想よりもだいぶ早い33日間で幕を閉じた。長いようであっという間。霊山寺でのお礼参りを終えて山門をくぐり外に出て、その山門を改めて眺めていると、巡拝初日にこの山門をくぐってから33日間も歩いてきた事が現実ではなかったかのようにも感じてしまう。足の痛みに耐え歩き続け、何も無い山間部や日差しの厳しい海沿いを空腹や暑さに耐え歩き続け、一日中雨降る中をびしょ濡れになって歩き続け…長く険しい道のりだったはずの日々が、終わってみればあまりにもあっという間でほんの一瞬の過去の出来事になっていた。しかし確実に多くのものを得たのも事実。四国遍路の経験は、自分の人生経験の中でも最も貴重で有意義なものとなった。

 

お礼参りを終えたのが17:00。この後は四国遍路とは別件で広島に数日間滞在する用事(東京から広島へ移住するための下見)があり、時間的にはそのまま広島へ行くことも可能だったが、四国巡礼を無事終えて一区切りついたので少しゆっくりしたいと思い、霊山寺の隣にある旅館で一泊。ちなみにこの遍路記で計算されている出費額は、第一番札所霊山寺から巡拝を始めてお礼参りで再び霊山寺に戻ってくるまでにかかった費用としているので、お礼参り後の旅館の宿泊費等は含まず。

結願後に和歌山県北部にある高野山へ向かうお遍路さんがいる。これは「高野山参り」というもので、高野山の奥の院で眠っている弘法大師に無事結願できたお礼をしに行くというもの。しかし自分は最初から高野山参りに行くつもりは無かった。単に四国から遠いからというのではなく、自分にとって四国巡礼は「四国一周歩き旅」というアウトドアに精神修行を付け足したようなものであり、宗教心は全く無いので高野山参りをする事に抵抗を感じた。自分にとって四国巡礼は、霊山寺のお礼参りをして四国を一周した時点で完結と言える。ただ、これから何年先か、もしくは何十年か経ってから、四国遍路の経験が自分の人生に本当に大きなものをもたらしたのだと確信できる時が来たなら、その時は遍路衣装を身に付け納経帳を持って高野山へ行こうと思う。