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その5  4日目

 

雨音で目を覚ますと時間は1:30。以降何度か雨音で目が覚め熟睡できず。土砂降りのような強い雨が降り、車が少し揺れるほどの強風が吹くことも。そしてケータイの目覚ましで5:00に起きた時も雨がぱらつき空はどんよりとしていたので、この調子では午前中に晴れることはないだろうと、一旦は城山登山を諦める。となると何もすることがないので好きなだけ寝ていようと再び眠る。そして次に目を覚ましたのが7:30過ぎ。雨は止み、空を見渡すと全体的に薄雲が掛かっているものの明るくなっていた。これはもしやこれから城山へ向かい登山を始めれば、山頂に着く頃には晴れるのではないかと淡い期待が膨らみ、気だるい気分を払拭させ城山へ向かう。

城山

(じょうやま:美津島町黒瀬城山)

前日訪れた登山道入口へ再び。車1台分の幅しかない道路を、対向車来るな来るなと念じながら進む。登山口には自転車が1台だけ停まっていた。相変わらず登山客の少ない山だ。ふとマイカーのリアウインドウが随分と汚れている事に気付き、よく見てみると車全体がかなり汚れている事に気付く。夜間の強い雨でそれ以前の汚れはある程度落とされたと思うので、強風で飛んできた砂埃が付着したのだろうか。とにかく汚い。帰宅後にやらなければならないことが増えてしまった。楽しい旅行の後には、洗濯や荷物の片付け、洗車など面倒な作業が控えている。

城山登山道入口

汚れ放題の車

底が剥がれかけた靴

前日と同じくスニーカーからトレッキングシューズに履き替える。靴は結構痛んでいて(主に富士登山で使い込んで)靴底のつま先側が剥がれ始めていて、手でつま先側をペロンとやってみると、思っていたよりだいぶ剥がれている事に気付く。これは岩場や木の根に引っ掛ける危険がある。新しいのに買い換えないと…とりあえず前日は問題なく歩けたし、城山登山は大した山登りではないのでそのまま使うことにした。

東南角石塁と黒瀬湾

旧軍道を進む

8:40登山開始。前日同様登山口から東南角石塁まで旧軍道を歩き、分岐点の東南角石塁からそのまま旧軍道を進み頂上へ向かう。前日歩いた石塁を巡る園路はいかにも山道という感じだったが、頂上まで続く旧軍道は歩きやすい坂道が続き楽チン。東南角石塁から黒瀬湾を眺めた時は曇っていて日も射さなかったが、旧軍道を歩いているうちに木漏れ日が射すようになる。道は木々に覆われ外の景色はよく見えないので、どれくらい晴れてどれくらい景色がよくなっているのか分からない。とにかく晴れているうちに登頂しようと、足を休ませることなく頂上を目指す。

旧軍道はずっとこんな感じの道

金田城壁石垣

途中に”金田城壁石垣”というものが。おそらく東南角石塁から続いている石塁と思われ。山頂から城山北東部までを金田城の石垣がぐるっと囲んでいる。現在の石垣を見る限りでは簡単に乗り越えられそうな感じのものに見えるが、当時はどんな風だったのか気になる。

砲台跡

砲台跡

登山口から約35分で頂上の砲台跡に到着。パンフレットには所要時間50分と書かれてあるので、結構なハイペースで登ってきたようだ。特に珍しくは無いよくある砲台跡という感じで、奥へ進むと監視所跡が。3本の基礎のようなものがあるだけで、元はどうなっていたのかイメージつかず。監視所跡の脇には、地下にある指令所に通じる階段が。

監視所跡

指令所入口

指令所

砲台跡裏手

砲台跡周辺も木々に覆われていて外の景色は見えず、見晴らしの良い景色はどこから見られるのかと砲台跡裏手へ回ってみると、浅茅湾を眺望できる見晴台になっていた。空はすっかり晴れて青々とした風景が広がる。少々薄雲が残り遠くの景色が霞んではいるものの、十分にいい眺め。ただ、見晴台にも木々がたくさん生えていて視界が狭い。1ヶ所だけでも広い視界を確保するため木を刈ってほしいところだが、そう簡単に伐採できるものではないのだろうか。

無事快晴の元で浅芽湾を眺望することができ、そこそこ満足して下山しようかなと思ったところで、「←山頂」と書かれた道しるべを発見。砲台跡よりもさらに上があった。砲台跡裏手から続く山頂までの道は、傾斜がきつい上に大量の木の根が地面を這っていて足場が悪い。剥がれかけた靴底を引っ掛けないように気をつけて登っていく。

ここから山頂へ

地面を這いずり回るように伸びた木の根

程なくして山頂に到着。標高は273mとさほど高くはないが、山頂からの眺めはなかなかの絶景!周囲に景色を遮るものは無く、正に浅茅湾を一望。文句なしにいい眺めだ。山頂には強めの風が吹いていて、辺り一面から木々が風にそよぐ音が聞こえてくる。そして時折うぐいすの鳴き声。視界が広くて眺望が利く良い景色と、心地よい木々と鳥のさえずり。写真と言葉だけではこの気持ちよさはとても伝わらない。

時間に余裕があるので暫く山頂でのんびり。途中1人の若者がやってきて5分もしないで下りて行った以外は誰も山頂へは来ず、最高に気持ちいい景色を占め。曇っていた前日に無理して登らず日を改めて正解だった。朝方まで雨が降っていたので、まさか午前中にここまで天気が回復するとは予想しなかった。結果的に物事がうまくいっているなと思ったが、SDカードの問題が残されていることをすっかり忘れていた。しかしこれだけ雄大な景色を眺めていると、どうにかなりそうだし大した問題でもない気持ちになってくる。とても大した問題なのだけど。40分ほど山頂に留まりそれから下山。登山口からの往復は約2時間。所要時間的には前日の大吉戸神社までの往復と同じだが、山頂までの道のりの方がずっと楽だった。

雞知ダム

(けちだむ:美津島町焼松)

ダムに寄り道

城山登山と同じく、本来は前日に観光する予定だった上見坂公園へ向かう。その道の途中に、「雞知ダム0.6km」という案内標識があったので、ついでに立ち寄り。ダムは特別大きくも小さくもなく、特別見どころがあるわけでもなかった。

駐車場からダム堤体へ

堤体の上を歩く

ダム堤体

雞知ダムから遠くに見える霊峰白嶽(しらたけ)。標高519mあり、山頂まで70分ほどの登山で登れる山。旅行計画の段階で白嶽にも登る考えがあったが、城山と白嶽2つの山を登るのは少々…いやかなりしんどい事になりそうなのでボツになった。食事も睡眠も不摂生になる車中泊旅行では、体力的に負担の掛かる山登りはあまりしたくない。もう若くないから… いずれにせよ、天気の関係で城山と白嶽両方の登山は無理だった訳だが、仮に城山でなく白嶽に登っていたらどうだったか、白嶽山頂からの眺めはどんなものだったのか気になる。

霊峰白嶽

上見坂公園

(かみざかこうえん:厳原町上見坂)

対馬旅行最後の目的地、上見坂公園には浅茅湾を一望することができる標高358mの展望台がある。しかも展望台は駐車場の目の前。先に訪れた城山よりも80m強標高が高いので、城山以上に眺めがいいのかと思いきや…上見坂公園から浅茅湾は随分と遠く、随分と景色が霞んでいて眺めがよくない。視界がもっとよければもっといい景色に見えたかもしれない。ちょっと残念。

上見坂公園

上見坂公園展望台

展望台から眺める浅茅湾 湾を横切る線は対馬空港の滑走路

とりあえず景色は見られた事だし厳原港へ向かおうと車に戻るも、まだ12:00前でフェリー出航時間の15:00までだいぶ時間があるので、もう少し公園をぶらついてみようと再び展望台へ。と、木々の生い茂る公園の奥へと続く遊歩道に目が留まり、奥へ歩いていくと戦争遺構の兵舎跡が。

兵舎跡

兵舎跡内部

便所跡

兵舎跡の先には便所跡やその他跡。そして一番奥に砲座跡。砲台跡ではなく砲座跡。砲台跡は回転する砲台を載せる円形の窪みがあるが、砲座跡は車輪付きの砲を載せるもので、そのためのスロープがある。今は周囲を木々で覆われているが、当時は射撃できるように伐採されていたのだろうか。それとも敵に見つからないように、監視ポイントの視界と弾道の確保のみだったのだろうか。砲台跡などの戦争遺構を訪れ、戦時中ここで兵士達が戦闘に従事していたんだなぁとは思ってみても、遺構だけでは当時の様子までは分からない。こういう場所には当時のイメージ図的なものを掲示してくれれば嬉しい。

砲座跡

砲座下の壕

フェリーへの乗船にはまだ早いので、上見坂公園から厳原市街に移動し時間潰し。市街を通る国道で一番目立つ大きな建物、津島市交流センターに立ち寄り。建物内には飲食店や土産物屋など複数の店が入っていて、多くの観光客で賑わっている。服装や言葉から判断して3分の2以上が韓国人だと思われ。対馬を訪れる日本人観光客は本当に少ない。しかし3日間かけて対馬内の観光スポットをあちこちまわってもほとんど観光客を見掛けなかったのに、なぜ津島市交流センターだけ賑わっているのか不思議だ。小腹が減ったのでモスバーガー(対馬唯一のハンバーガーチェーン店?)に入店し、セットメニューを注文し小1時間ほど店内で時間を潰してからフェリー乗り場へ。

津島市交流センター

厳原港のフェリー営業所

行きと同じフェリーに乗船

営業所で乗船手続きを済ませ、14:00に一番乗りで乗船。行きと同じくベッドが割り当てられ、行きは二段ベッドの下だったので狭かったが、帰りは一段のベッドでしかも窓付き。ちょっとした個室のよう。大手フェリー会社より運賃が安い上に基本料金で個人用ベッド付きというのは、本当にお得感が大きい。

車両デッキの先頭に停車

割り当てられたベッド

壱岐島に寄港

船上から眺める夕景

乗船して直ぐにベッドに寝転がりそのまま眠ってしまい、17:00過ぎに目を覚まし窓の外を見てみると、壱岐島に寄港するところだった。それからまた寝て今度目を覚ますと、ちょうど夕日が水平線に沈むところだった。時間は19:00。航行する船上から眺める夕日というのもなかなかいいものだ。外へ出るのが億劫なので、ベッド越しの少し汚れた窓から日没までを観賞。それ以降は横になっても眠れぬまま、20:00に博多港到着。

本土の陸地

博多港に到着

高速道路に入る前に、行きにも立ち寄ったIC最寄のガソリンスタンドへ。自宅までガソリンは持ちそうな感じだったが、念のため10リットルだけ給油(いつも利用している自宅最寄のGSの方が安いので)。ついでに空気圧のチェックもしてもらったが問題は無し。帰りの高速道路も終始流がよく、23:30自宅に帰着。

後日談1・SDカードの件

写真撮影中に突然「メモリーカードが異常です」と表示され、撮影もこれまでに撮影した写真の表示もできなくなってしまったSDカード。帰宅後直ぐに、PCに写真データをコピーできるか試そうとしたところ、何故かPCのウインドウズが起動しないという事態が発生。悪いことは重なる… 不幸中の幸いサブPCがあるのでそちらを起動。まず撮影していたデジカメに問題のSDカードを挿入し、デジカメとPCをケーブルで接続してデータをPCにコピーしようと試したが、PC上からではSDカードにデータが無い事になっていた。別のデジカメにSDカードを挿入して同じ事をしてみるも、やはりPCにデータのコピーはできず。次にデータストレージにSDカードを挿してコピーを試みるが、NO DATAの表示が。結局自力でデータを吸い出すことはできず。

翌日PCショップへ行き、壊れたSDカードからのデータ吸出し(データレスキューという復旧メニューがあった)と、起動しなくなったPCの復旧を依頼。どちらも重症のようで、完全復旧は難しいかもしれないと告げられ絶望的な気分になったが、いろいろ手を尽くしてもらいPCは無事完全復旧。SDカードのデータはやはり壊れていたが、それでも何とかデータを吸い出す事に成功し、DVD-Rに焼いてもらう。ただ、明らかに壊れている画像もあり、吸い出せなかった画像もあるかもしれないと告げられ、不安をもちつつDVD-Rの画像を確認。結果、対馬で撮った写真全ての画像が吸い出せていたが、撮影画像全385枚中34枚の画像が壊れていた。しかし、同じ風景を違う角度や構図で複数枚撮る事が多いので致命傷にはならず、HP制作にも支障が出ない程度だったので一安心。という事で、前代未聞の大アクシデントを無事切り抜ける。

PCの復旧代金は4,320円。そしてSDカードのデータレスキューが工賃3,240円、復旧成功報酬に10,800とかかり、計18,360円もの想定外の出費が発生してしまった。しかし、約64,000円の費用と4日間の日程を費やして行った旅行の記録を失わずに済んだのだから、安く済んだと言えるだろう。

壊れた画像

この程度なら素材として使える

お世話になったPCショップの店員によれば、SDカードなどのメモリーカードには寿命があり、早ければ数百回のデータ書き換えで寿命が来るとの事。また、メモリーカードの電気接触部の劣化や静電気などにより、ショートしてデータが壊れる事もあるらしい。これらを避けるにはできるだけ信頼性の高いメモリーカードを使うこと、あまり古いカードは使わない事が一番の対策との事。今回問題を起こしたSDカードは10年近く前に購入したもので、あまり信頼性の高いブランドでもなかった。大切な思い出の記録を失わないためにも、デジカメに使うメモリーカードの精選と管理はしっかりしないといけないと改めて思った。

後日談2・パンクの件

対馬に上陸して直ぐに気付いた後輪左側の異常。空気が異様に減っていたので間違いなくパンクだろうと。しかし、通りすがりの工務店で空気入れを借りて空気を満タンにしてから、3日間の対馬観光をしている間に空気が減る事はなく、博多から広島まで高速道路を走って自宅へ帰り、その翌日に確認してみてもやはり空気は減っていなかった。なのでパンクではなく自然に空気が抜けていただけなのかとも思ったが、やはり4つのタイヤのうち1つだけ異様に減るのはおかしい。という事で、後日カーショップで確認してもらうとやはり穴が開いていた。おそらく釘か何かが刺さったと思われ。工務店で空気を多めに入れて穴が圧迫され、空気が抜けにくくなっていたのかもしれない。ともあれ、釘などごく細いものが刺さったパンクなら空気が抜け切るのに時間が掛かるので、直ぐに修理ができない時などは空気を入れて応急処置、という手段が大いに有効であると今回の旅で経験。以降マイカーに空気入れを常備するようになった。備えあれば憂いなし。