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2012年5月13日(日)  巡拝28日目  晴

参拝札所:65・66・67番

歩行距離:45.0km

合計距離:995.2km

出費額:¥2,676

合計額:¥158,115

 

日の出と共に出発

街を眺める

携帯電話の目覚ましの3回目のスヌーズで4:40起床。眠い…もっと寝ていたい。8時間ほど睡眠をとれたがそれでも早起きは眠い。部屋に置かれていたカステラとお茶で腹ごしらえをし、5:10出発。東に見える山の後ろからちょうど太陽が顔を出し始める。こんなに早い時間から歩いているお遍路はどれだけいるのだろうか。あまりいない気もするが、逆に昔は日の出と共に歩き出していたイメージがある。

自分をみつめ直す道…

木々に覆われた山道を進む

宿から3kmほど歩いて山道に入る。相変わらず山道はしんどい、しかも朝一からは尚更しんどい。ただ前日は早く宿に到着し早い時間に寝たので、体を十分休めることができたようで足の調子はいい。

 

山門は石段の上

第六十五番札所の三角寺に到着したのは6:50。朝一で納経するのにちょうどいい時間。サクッと参拝と納経を済ませ三角時を出る時に、前日いざり松まで一緒に歩いたお遍路さんと再会。よし、ベテランお遍路さんのペースに負けてないぞ。って、四国巡礼は人と速さを競うものではないのだ。精神修行、競うとしたらそれは自分自身なのだ。

第六十五番札所 三角寺(さんかくじ) 山門

三角寺 本堂

三角時 大師堂

 

遍路道が工事中

三角寺から細い山道を歩き始めて直ぐに、遍路道が工事中のため通行止めになっていた。迂回路の案内板があるのだが遍路地図で確認してみると…2km程遠回り。車は無理だとしても歩行者なら何とか通行できるのではないかとも考えたが、このまま進んで通り抜け出来ず引き返すことになったらマヌケなので、案内板の指示に従い迂回路へ入る。まぁ仕方ない、これも修行の小さな試練なのだと思うことにした。そして1kmほど進むと二方向への分かれ道。右か、左か、どちらへ進めばいいのか案内板も何も無い。遍路地図で確認する限り左に進めばいいようだが、やはりはっきりと案内してくれないと不安になる。人通りは全く無く誰に聞くこともできないので、遍路地図だけを頼りに左の道へ入る。

標高約400mからの眺め

迂回路を進む

緩い下り道を進んでいくが、相変わらず遍路道の案内は見当たらない。道は間違っていないと思うのだが、万が一間違っていたらこの道を引き返さなければならない事を考えると、妙に不安になる。向かいから逆打ちのお遍路さんが歩いてくれば安心できるのになぁ、などと思っていたら、お遍路さんではなく1台の車が向かいからやってきた。車に向かって手を振り停まってもらい、道の事を尋ねるとどうやら間違っていないと分かり一安心。そして3kmほどある迂回路をちょうど1時間歩いて反対側の通行止めに到着。こちらの工事案内板には「歩行者 車両 通行止」と書かれてある。が、通行止めの道の先に消えていく一人のお遍路さんの姿。え…やっぱり通行できるの?あのお遍路さんは通行できる事を知って入って行ったのか、それとも通れる確信が無いまま入って行ったのか。いずれにせよ迂回路で反対側まで来てしまった自分には関係ないか。過ぎた事は気にしない。

反対側の通行止め

標高500mの三角寺から標高220mまで下ったところで細い山道を抜け、そこで別の道から歩いてきたお遍路さんと遭遇。そのお遍路さんは、自分が歩いてきた道とは別のルートで三角寺から迂回して来たとの事で、遍路地図で確認してみるとそちらのルートの方が距離的には近かった。三角時の納経所に迂回路についての貼り紙があったとの事だが、自分は全然気付かなかった…ただ、そのルートだと最初は下り道が続いて、途中から上りが長く続くので体力的にはしんどいとの事。それなら自分が歩いてきたルートが損だった訳ではないなと、過ぎた事を気にして損得勘定してしまう所がまだまだ小者。

台形のような山

上り坂が長く続く国道を歩く

遍路道は暫く下りが続き、標高100mまで下りたところで国道に入る。すると今度は上り坂が続く。勾配の緩い坂道だが、歩いても歩いてもいつまでも上り坂。次第にペースは落ちて、疲れて途中途中で足が止まる。四国遍路の道のりはもうすぐ1000kmに達し、どれだけ険しい山道や長い上り坂を歩いてきたと言っても、やっぱり上りはしんどい、慣れやしない。漠然と四国遍路に関心を持ち始めた頃は、田畑の広がる平地の田舎道を歩くような長閑なイメージを勝手に想像していたが、実際は上り下りが頻繁にあるし、未舗装で足場の悪い山道もあるし、車の行き交う国道がかなりの割合を占めるし、四国遍路の道のりは本当に修行の道だった。

4kmほど上り坂が続き疲労と空腹でクタクタ。坂が終わったのは愛媛県と徳島県の県境をまたぐトンネル。県境にあるから「境目トンネル」という分かりやすい名前。855mある境目トンネルを通って徳島県に入って直ぐに、「水車」という食堂があったので入店。三角寺から約12km、やっと食事と休憩ができる。山間部で札所間に飲食店や売店が滅多に無い遍路道なので、この食堂は歩き遍路にとっては休息の場として貴重な場所だ。食べ過ぎて体が重くならないよう、きつねうどん単品を注文。本当に疲れて本当にお腹が空いているから、麺も汁もお茶も本当においしい。うどん一杯のありがたみを噛み締めずにはいられない。

食堂を出で少し歩いたところで国道を離れ、さらに2kmほど進むと「雲辺寺 登坂口」と書かれた案内板が。また山登りか…標高300mの登坂口から標高880mの雲辺寺まで、標高差600m近くの道のりを登って行かなければならない。遍路道の標高図が載っているパンフレットを見ると、これから向かう第六十六番札所雲辺寺は、遍路道の中で最も標高の高い場所に位置している。これは間違いなくしんどい難所だと、分かっていても先に進むしかない。ちなみにそのパンフレットによると、歩き遍路の行程案ではこの山道を通るのは38日目になっている。どうやら一般的な行程目安よりも10日も早く進んでいるらしい。

また山道…

山道は思った通りきつく、未舗装の急な登り道が延々と続く。これは本当にキツイ…道の途中途中に格言や励ましの言葉が木の枝にぶら下がっていて、ささやかながらも元気付けられ前へ前へと進んで行く。こんな山道を空腹の状態で歩くのはあまりにも厳しい。手前でうどんを食べて腹ごしらえしておいてよかった。

そりゃそうだけどさ…

もう一息なら頑張れる!

頑張ってるんだよっ

未舗装の山道を抜けてもまだまだ上り道は続く。時折お遍路さんが運転する車が後ろからスーッっと追い抜いて行く。車は正に文明の利器だなぁと思う。どんなに遠い場所でも高い山でも、道路が通っている場所ならば自分は座ったまま移動できる。雨が降っていても濡れないし、外が暑かろうと寒かろうとエアコンがあるのでいつも快適。そんな便利の極みとも言える移動手段の道具が、当たり前のように誰もが所有し利用している現代が凄いと思う。弘法大師が四国遍路をしていた頃には考えられない事だ、当たり前だけど。

まだまだ続く道

あと少し…

 

やっと着いた雲辺寺

4kmほどの山道を2時間かけて、ようやく第六十六番札所雲辺寺に到着。予想以上にキツイ道のりだった。時間は14:00で予定のギリギリ。この後、9.4km先の第六十七番札所まで参拝を済ませておく計画なので、あまりのんびりしている余裕は無い。

第六十六番札所 雲辺寺(うんぺんじ) 山門

標高880mの山の上にある雲辺寺だが、札所までは車が通れる道路の他にロープウェイも運行していて、ロープウェイでやってくる団体のお遍路さん達で賑わっている。山登りで疲れている状態で人賑わいの中に入り、一層疲労感が増す。それにしても、四国遍路はそんなに一般的なものではなく、四国遍路に関心があり実際に巡礼する人は少ないというイメージを持っていたが、実際は沢山の巡礼者がいて旅行感覚・スタンプラリー感覚でまわっている人も多く、かなりレジャー化されている事に驚かされる。アウトドア感覚で四国遍路を紹介するパンフレットなどもあり、多角的に四国遍路を広めていかないと遍路人口を維持して行くのは難しいのかもしれない。しかしそこまでして四国遍路を広める必要があるのかと、疑問にも思う。あまりにもレジャー化・一般化して俗っぽくなってしまったら、昔から受け継がれてきた四国遍路本来の文化が廃れてしまうのではないかと。

雲辺寺 本堂

雲辺寺 大師堂

毎回納経所で御朱印と墨書をしてもらった後に御本尊御影を渡されるが、雲辺寺では右の写真の縦5cmほどの「記念散華(さんげ)」という、色紙に印刷されたものが御本尊御影と一緒に渡される。受け取る時に簡単な説明をされたが、疲れていて全然話を聞いていなかった。。とりあえず雲辺寺から第八十八番札所まで配られるもののようだ、という認識しか持たないままこの先集めることになる。こういうのもスタンプラリー的な感じがするが、集める楽しみというものができるので悪くない。

記念散華についてこの遍路記制作の時に検索してみたところ、「讃岐部会二十三ヶ寺を全て廻り集めると光明真言になる」というもので、閏年である2012年に限り香川県の札所で配られたものらしい。何で閏年だけ?記念って閏年の事?でもって何で香川県だけ?結局よく分からない。

散華

 

先を急ぐので満足に休憩もしないまま雲辺寺を14:30出発。約9km先の次の札所へ納経所が閉まる17:00より前に着くには、1km15分のペースを保たなければならない。幸い山登りは無いので何とか間に合うだろうと予測。諦めず頑張ることも精神修行。雲辺寺から山道の下りが続くが、納経時間に間に合うようペースを上げて歩いていると、地面を踏みしめる振動が足に響いて結構な負担になる。しかし距離を稼げる下り道でペースを落とすわけにはいかないので、気合でズンズン先へ進んで行く。途中空腹が辛くなってきたので足を止め、おにぎり1個とウィダーインゼリー1個を食べて空腹を抑える。それからは急ぐため少し小走り気味で山を下りていく。雲辺寺を出てから1時間経った時点で、約4km進んでいてとりあえずは順調。しかしあと1時間ちょっとで5km歩かなければならないので余裕は全く無い。

まだまだ下界が遠い

登りも下りも楽じゃない

雲辺寺の手前で愛媛県から徳島県に入り、雲辺寺を出ると今度は香川県に入る。徳島県にある第一番札所霊山寺から四国巡礼を始め、四国の輪郭をたどるように高知県・愛媛県とまわり、そして結願の札所となる第八十八番札所がある香川県に遂に足を踏み入れた。長い長い四国遍路の道のりもいよいよ終わりが近づいてきた。

農道を歩く

まだまだ歩く

未舗装の山道を下りきって農道に出る。そこで飲料の自動販売機を発見。手持ちの飲み物があと僅かだったのでペットボトルのお茶でも買おうと思った。が、お茶が150円なのに対し財布の中の小銭は130円。あとは五千円札が1枚入っていたが、何と自販機は紙幣は千円札しか対応していなかった。手持ちの小銭130円で唯一買えるのはミネラルウォーターのみ。仕方ないのでミネラルウォーターを購入。数百円分の小銭と千円札は常にストックしておくべきだと痛感。

 

必死に歩き続け、16:30に第六十七番札所大興寺に到着。我ながらよく頑張った。やはり何事も最初から諦めてはいけない。かなりくたびれていたが納経を済ませないと安心できないので、休憩は後回しにして先に参拝と納経を済ませる。納経所が閉まる間近の時間という事もあってか、境内に人の姿はほとんど無く静か。やはり先の雲辺寺のように人が多く賑やかなよりも静かな方が落ち着くし、神聖な四国巡礼の参拝所という雰囲気がある。あまり四国遍路のレジャー化が進んで団体遍路ばかりになってしまうと、四国遍路という文化そのものの形が変わってしまうのではないかと思う。

第六十七番札所 大興寺(だいこうじ) 山門

大興寺 本堂

大興寺 大師堂

予定通り無事納経を済ませ、やっとの休憩。境内の片隅にある自販機でジュースを買い、側にあるベンチに荷物を降ろし腰掛けようとしたところで、音も無く初老の女性が目の前に現れる。女性の様子に何か違和感を持ちつつもとりあえず挨拶すると、ベンチに置いた山野袋のポケットにさりげなく何かをスッと入れ、「これでうどんでも食べてください」と。ポケットの中を見ると四つ折された千円札が入っていた。あまりに唐突な出来事に「え、、いいんですか」と答えると、「何の罪滅ぼしにもなりませんが…」と言われ、お礼を言うと同時に女性は消えるようにいなくなった。何だったのだろう、罪滅ぼし…という言葉から、このお接待は単に風習に則った無償の施しではない事が分かる。本人が背負っているものの償いを、償いきれないものをお遍路さんに、弘法大師に背負っておもらおうという思いでやっているのではないかと思う。そう考えると、身なりこそ一応遍路らしい格好をしているが、信仰心は無く半分旅気分で巡礼しているような自分には、本来この千円札を受け取る資格は無い。改めて、本来の四国巡礼というものがどれだけ宗教的なものであるかを思い知らされる。そして、ここまで自ら四国巡礼をしてきて沢山の人と出会って、話を聞いて、四国巡礼をするお遍路さんにもお接待をする人の中にも、いろいろな悩みや苦悩、後悔などの辛いものを背負っている人が沢山いて、そんな重いものを背負いつつも一生懸命生きていかなければならないのが人間なんだと気付かされる。

 

翌朝に参拝する予定の札所のすぐ側にある入浴施設へ向けて大興寺を出発。まだあと9kmほど歩かないといけないが、時間的に際どかった大興寺での納経を無事済ませることができたので気分は軽い。しかし少々頑張りすぎて一気に気が抜けたからか、左足首の痛みが急に辛くなってくる。左足を庇うようにペースを落として歩く。途中、ウォーキング中のおばさんに声を掛けられ少し談話。別れ際に「おばさんお接待好きなんだけどウォーキング中で何も持ってきてないの、ごめんなさいね」と。その気持ちだけでありがたい、ただちょっと惜しいと思ったのが本音だったりもする。それから入浴施設を目指し西へ沈み行く夕日に向かって淡々と歩き続ける。

入浴施設と次の札所の間にちょうど道の駅があり、そこで野宿をするつもりでいたが、近くにネットカフェがあるなら利用したいと思いつく。道路沿いに店が目立ち始めたところで通りがかりのコンビニに入り、周辺にネットカフェは無いか店員に尋ねてみるが、残念ながら無いとの事。仕方ないので当初の予定通り野宿をすることに。野宿をするのは一週間振りでこれが5回目になる。本当はもっとするつもりでいたが、思っていた以上に夜は寒いし寝袋の寝心地が最悪だしで、宿泊施設も無料宿も無い場合の最終手段として考えるようになってしまった。

 

すっかり外が暗くなった19:50に入浴施設に到着。もう本当にクタクタ、左足首もかなり痛い、おまけに空腹。なので入浴前に施設内にある食堂で食事。食後は暫く食堂で翌日の計画を立てたりメモ帳のまとめをしたり。そして21:30過ぎから1時間ほど入浴。民宿や旅館だと宿泊客が順番に浴室を使うのでのんびりと湯に浸かれないが、スーパー銭湯や日帰り温泉なら時間を気にせず入浴できるので、好きなだけ湯に浸かってリラックスすることができる。入浴後は閉店時間の23:00まで休憩所の畳の上に寝転がって爆睡。野宿ではろくに熟睡できないので、環境のよい場所で少しでも睡眠を稼いでおかなければ。

讃岐路野天風呂 湯屋 琴弾廻廊

カツカレーを食べる

入浴施設を出て野宿をするため道の駅へ向かう。ところが道を間違えて広い公園のような場所に。トイレもあるし芝生の上なら極薄寝袋でも少しは寝心地が良さそうなのでいいかなと思ったのだが、公園内に外灯はほぼ無くやたら暗く、怪しい車がポツンと停まっていたり、暗がりで数人がごそごそと何やらやっていたりと、安全面に少々不安があるので公園での野宿はやめ、道の駅を探す。

いったい道の駅は何処?道の駅なんて広い駐車場があるから直ぐに見つかるはずなのに…と、暗い夜道をうろうろしてやっとたどり着いた「道の駅ことひき」は、一般的な道の駅のようなパーキングエリアではなかった。広い駐車場が無いため、気付かずに一度正面を素通りしていた。道の駅というより観光施設のような外観で、広い駐車場は見当たらない。「総合コミュニティーセンター」というものらしい。とりあえず寝床にするのにいい場所を探すが、道路から陰になって目立たない場所は先客がテントを張っていたので、仕方なく建物の玄関に寝袋を敷く。期待した玄関マットは無く、タイル張りの地面は冷たく硬い。あぁ、やっぱり布団で寝たい…まともに寝られる環境ではないが、別の場所を探すのも面倒なので諦め、そのまま23:30過ぎに就寝。

道の駅ことひきで野宿

タイルの上での寝心地は最悪で、何度も目を覚ましまともに眠れない。少しでも寝心地がマシになる姿勢はないかといろいろ体を動かしてみるが全然駄目。約700gという軽さで寝袋を選んだ事で、寝心地も防寒性も丸々犠牲にする結果となってしまった。しかも寝袋の下に敷くマットも無い。そもそも寝袋の下にマットを敷くというアウトドアでの常識すら知らなかった。いつまでも眠れないでいたら空腹になったので、菓子パンを食べてまた目をつぶる。そして浅い眠りの中で夢を見た。何処かの寺か善根宿か、畳の上で複数の人が寝ていて、自分も空き場所を探して寝ようとする夢。よほど「寝床」で寝たかったらしい。